日本の旧車が高騰している。クラシックカー専門店「クラシカ横浜」店長の上村恭介さんは「国内市場に流通する個体は年に数台と極めて少なく、レストア現場にとっても希少車中の希少車なのが、マツダのコスモスポーツだ」という――。

※本稿は、上村恭介『大人の旧車イズム』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

マツダのコスモスポーツ
写真提供=マツダ

敗戦から約20年で「世界初」を実現

コスモスポーツは、日本の自動車史に燦然と輝く、技術的象徴のような存在である。単なる世界初の2ローター・ロータリーエンジン市販車という枠を超え、戦後の荒廃から立ち上がった日本の技術者たちの信念と柔軟性、ものづくりの哲学を体現した、歴史に残る名車として位置づけられている。

広島に本拠を置くマツダ(当時の東洋工業)は、第二次世界大戦で甚大な被害を受けた。企業としての体力は極めて低下していたが、そのわずか約20年後に自動車工学史上で唯一無二の革新と言えるロータリーエンジンの市販化を世界で初めて実用レベルにまで高めた。

コスモスポーツこそが、その歴史的背景を物語る証しとなり、日本の技術者精神を象徴する存在として語り継がれている。

他メーカーは「悪魔の爪痕」を克服できず

ロータリーエンジンの原理はドイツ・NSU社のフェリックス・バンケルが考案したものである。ピストンを持たず、三角ローター(ローターは正確には「三葉ルーロー曲線」に近い形状)とペリトロコイド曲線のハウジングにより吸気・圧縮・爆発・排気を連続的に行う構造を持つ。

構造が簡素に見える一方、実用化には膨大な問題があった。最大の課題は、「悪魔の爪痕」と呼ばれたハウジング内壁の摩耗である。

ローターの頂部に取りつけられる3つのアペックスシールは、通常のガソリンエンジンにあるピストンリングのように燃焼室を密閉するために機能するが、材質が不適切であればハウジングを引っ掻き、微小な隙間を生む。わずかな隙間でも圧縮率が低下し、失火、振動増大、始動性の悪化など致命的な不具合を引き起こした。

当時、NSU社からロータリーエンジンの理論的ライセンスを取得した世界各国のメーカーは、研究段階でこの問題に直面。技術的解決の目処が立たぬ中、次々と撤退していった。そんな状況下でも諦めることなく、逆に実用に耐えうるエンジンとして完成させたのがマツダであった。

アペックスシールの材質研究は金属からセラミック、さらには牛骨まで試すという執念の領域に及び、最終的には振動係数の調整やシール形状、素材などによって世界中のどのメーカーも解決できなかった問題を克服したのだ。

コスモスポーツの後方からの写真
写真提供=マツダ