被爆地の企業がアメリカの技術を取り入れた

特筆すべきは、ローターハウジングの複雑なペリトロコイド曲線である。

数学的に非常に難度の高い曲線であり、当時の自動車メーカーでコンピューター使用が一般的ではなかった時代、マツダは国産メーカーの中でも最も早くコンピューターを導入して形状解析を行った。

このストーリーには皮肉にも、原爆開発を加速させるためにアメリカが導入したコンピューターが、その被害を受けた広島の企業の技術革新にも繋がるという歴史的反転が存在している。

だがマツダはそこに拘泥せず、技術として有益なものは柔軟に取り入れた。ここにも、戦後日本のしなやかさと胆力が表れている。

ロータリーエンジンの開発に従事した技術者集団は、その後、マツダの社長となる山本健一氏を筆頭に「ロータリー四十七士」と呼ばれ、戦後の日本復興を象徴する技術者魂を持った集団として語り継がれている。

こうして完成されたロータリーエンジンを世界で初めて2つのローターを直結して2ローターとして搭載したのが、1967年にデビューしたコスモスポーツ(初期型L10A、後期型L10B)だ。

マツダ・ロータリーの「始祖」の実力

10A型ロータリーエンジンは、わずか491cc×2ローターの排気量から110psの最高出力を7000回転で発生させる。最大トルクは13.3kg-mであり、スポーツカーとしても高レベルの動力性能を発揮していた。

その最高出力は後期型では128psまで高められ、最高速度は初期型で185km/h、後期型では200km/hを実現していたのだから驚く。

前輪にはダブルウィッシュボーン式サスペンションを、後輪はド・ディオン式を採用。ロータリーエンジン独特の滑らかな回転フィールは、当時のどのレシプロエンジンとも異なり、まるで電気モーターのように高回転まで振動が少なく吹け上がる特性を持っていた。

2ローターとしても小型でコンパクト。部品点数もレシプロエンジンより圧倒的に少ない。その小型形状が奏功し、コスモスポーツの低いボンネットラインと美しいフロントマスクが実現したともいわれている。

コスモスポーツの側面全体写真
写真提供=マツダ