ネトウヨに認定される感覚的基準
しかし、鈴木さんによると、父は中国・韓国を批判し、南京大虐殺を否定し、女性を蔑視し、外国人の増加に危機感をおぼえる発言をしていました。またその内容や表現は明らかにネット動画などの影響を受けていたといいます(*6)。
これらの情報をもとにすれば、感覚的には多くの人が彼を「ネット右翼」と認定するのではないでしょうか。
だとすると、むしろ“定義もしくは定義のとらえ方”のほうが適切ではなかったのかもしれません。
鈴木さんが参照した定義は、いくつかの基準を包括的に満たさないと「右派」認定されないというものでした(少なくとも鈴木さんはそうとらえました)。そのため、ある部分は当てはまるが、ある部分は当てはまらない(=ブレブレだ)、だから基準を満たしていないと判断してしまったのです。
しかし、基準の“すべて”を満たす必要があったのでしょうか。
人を定義することの難しさ
何かを定義するというのは、とても難しいものです。なおかつ、その定義によって実際の人々の意識や行動を区分しようとすると、さらに難しさは増します。
多くの場合、特定の質問(たとえば「あなたは憲法9条の改正に賛成ですか、反対ですか」といった質問)への回答から判断することになります。しかし、誰もが納得するような過不足のない判断基準など、そもそも作りようがないのです。同業の研究者のあいだですら合意することは容易ではありません。
そのため、多くの人が使っている基準だからとか、偉い先生がそう言ったからとか、そういったことで仮に定義し、基準を当てはめているというのが実情なのです。
先の例に戻りましょう。鈴木さんの父は、中国や韓国を嫌ってはいたが、憲法や愛国心については何も言っていなかったし、女性を蔑視するような発言をしつつも、活躍する女性を評価するようなところもあったといいます。
同様の例はいくらでも考えられます。たとえば、「韓国大好き! でも同性愛者は気持ち悪い」とか、「男女は徹底的に平等に扱われるべきだ。そして日本人は男女とも靖国神社にこぞって参拝すべきだ」といったようにです。しかし、こうした仮想例はブレブレ(統一性を欠いている)なので、右派ではないのでしょうか。私は鈴木さんの父も、これらの仮想例もみな立派に右派市民だと考えます。みなさんはいかがでしょうか。

