量を追わずにV字回復実現
その年、2003年。サントリー社内で、静かな祝盃があげられた。
山崎蒸溜所で生まれたシングルモルトウイスキー「山崎12年」が、世界的な酒類コンペティション「ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)」で、初の金賞を受賞したのだ。日本のウイスキーが、世界に認められた瞬間だった。
「このコンペは、世界で生産を手がけている人たちが審査をしています。同業の人たちから品質を認めてもらえたのは、言葉にしがたい手応えでした」
そう振り返るのは、サントリー「ブレンダー室」の主席ブレンダー、輿石太さん(62歳)である。この受賞は、輿石さんがブレンダー室に配属されてから、4年目の出来事だった。
その後、2006年。今度は「白州18年」が、同じくISCで金賞を受賞する。メイン担当である生みの親は、輿石さんだった。その後の受賞も枚挙にいとまがない(*1)。こうしてサントリーウイスキーの快進撃が、世界を唸らせていく。
「山崎蒸溜所では、1989年に大規模な設備改良を行っていました。量を追うのではなく、品質を高める。その一点に賭けた取り組みでした。その成果が出たことが、なにより嬉しかったですね」
それは数字にも表れた。2009年にサントリーが始めた「角ハイボール復活プロジェクト」は、ウイスキー市場のV字回復に貢献。2008年と比べ、市場規模が今や約3倍に伸びる“ハイボールムーブメント”の基盤を形づくった。
初のウイスキー臭にたじろいだ入社時代
輿石さんの入社は1982年。当時、ブレンダーになるつもりは、まったくなかったという。山梨県韮崎市に生まれ、地元の高校を卒業後、サントリーに入社した。
「山梨は、ワインづくりが盛んな土地です。お酒の文化が生活の中に自然にあって、小さい頃から登美の丘ワイナリーによく行きました。子どもにはタダでジュースを飲ませてくれたんです」
入社前に見学していた縁もあり、配属先は地元の白州ディスティラリー(現・白州蒸溜所)となった。
「ウイスキーの製造工程を見たのは、このときが初めてでした。入った瞬間、『なんだ、この臭いは……』とたじろいだ。発酵の香り、蒸溜の香り。全身がつかまれるような、ものすごいインパクトでした」
最初の配属は、貯蔵グループだった。ウイスキーは、銅製の蒸溜釜(ポットスチル)で、もろみを2度蒸溜する。そこで得られるのが、無色透明のニューポットだ。このニューポットを樽に詰め、5年、10年、20年と眠らせることで、琥珀色の原酒に熟成させていく。
「樽の管理や、ウイスキーの製造計画業務が、当時の仕事でした」