セツは「八雲の精神を変える力」を持っていた
凡庸な出会いであれば、八雲の人生は気のあう現地妻を娶ったけれども、心は常にアメリカで出会ったビスランドのところにあった……とかで終わっていただろう。
しかし、そうはならなかった。なぜなら、八雲が出会ったのがセツだからである。
セツは、八雲の精神を根本から変える力を持っていた。それは、知的な対話ではない。ビスランドのような文学的共鳴でもない。セツが与えたのは、八雲がそれまでの人生で一度も経験したことのない、無条件の受容と安定だった。
幼少期に母を失い、常に「捨てられる恐怖」とともに生きてきた八雲にとって、セツの存在は革命的だった。(参考:だからセツとの距離が一気に縮まった…「ばけばけ」では描かれない、小泉八雲が重ねた「生き別れた母」の面影)
しかも、八雲が得たのはセツの母性的なパワーどころではない。セツと結婚したことで、八雲以上に「捨てられる恐怖」を持っている存在が一緒についてきた。そう、セツの家族である。
セツと所帯を持つということは、彼女の家族の面倒も見るということであった。しかも、松江にいる間だけと思いきや、熊本への転勤に際して養父母に加えて養祖父まで「お世話になります」とばかりについてきている。
八雲からすれば「え、おじいちゃんまで⁉」と驚いただろう。
家族ができて変化した“八雲の心中”
この慌ただしい生活の中で、ジワジワと八雲の心中は変化していった。
なにしろ、八雲が自分には得られないと思っていた家族が、一気にできた。あれこれ家事はやってくれるとはいえ、経済的には全力でのしかかってくる、ちょっと面倒くさい家族である。いわば、瞼の母の故郷であるレフカダ島的な大家族……地中海式のワイワイガヤガヤした、逃げ場のない濃密な血縁が、突如として八雲の日常になったのだ。
孤独に生きてきた八雲にとって、これは衝撃的な体験だっただろう。これはビスランドへの執着を忘れさせたはずだ。ビスランドへの執着は、いわば「捨てられる」ことへの恐怖である。「捨てられない」立場になってようやくそこから解き放たれたのだろう。
2019年に小泉八雲記念館で初めて展示された、「ビスランドからハーン宛書簡」(池田記念美術館所蔵)では、1895年から二人が文通を再開し、ビスランドがアメリカで仕事がしたいという彼の願いを叶えようと奔走したことが明らかになっている(「企画展『ハーンを慕った二人のアメリカ人 ボナー・フェラーズとエリザベス・ビスランド』」小泉八雲記念館、2019年6月27日~2020年6月7日)。

