八雲の伝記に記された“ビスランドへの悪意”
「The Lady of a Myriad Souls」とは、直訳すれば「無数の魂を持つ婦人」となる。一雄が批判しているケンナード女史とは八雲の伝記を書いたニナ・ケンナードのこと。『Lafcadio Hearn』(Kennard, Nina H. 1912. Lafcadio Hearn. New York: D. Appleton and Company. Internet Archive)では「The Lady of a Myriad Souls」のタイトルでビスランドを取り上げている。
全体としてはビスランドの八雲への献身を記述しているが、ところどころでビスランドへの悪意が顔を出す。たとえば、ビスランドがハーンの天才を信じたことを「少女の洗練されていない熱意」(“a girl's unsophisticated enthusiasm”)と表現し、知的パートナーというよりも世間知らずな崇拝者として描いている。
そもそも章のタイトルに「The Lady of a Myriad Souls」を選んだこと自体が、ケンナードの悪意を物語っている。この表現は、表面的には「多才で多面的な女性」を意味するが、裏を返せば「一貫性がない」「移り気な」「誰にでも良い顔をする」という否定的な含意も持つ。ハーンがビスランドに贈った称号を、皮肉を込めて章タイトルに据えることで、ケンナードは巧妙にビスランドの人格を貶めているのだ。
しかし、実際はそうではない。八雲があえてビスランドを「The Lady of a Myriad Souls」と評したのは、二人の関係が単なる恋愛感情を超えて、より高次の知的・精神的な友情に昇華していたからこそだ。
ビスランドは「17人の異なった婦人に変化できる」
互いに結婚し、それぞれの家庭を持った後だからこそ、八雲は率直にビスランドの多面的な才能……すなわち、作家、編集者、ジャーナリスト、そして文学的理解者としての資質を「無数の魂」という言葉で讃えることができた。それは、かつての恋慕の対象ではなく、対等な知的パートナーとして彼女を認めた証だった。
八雲がここまで昇華したのは、1895年、セツとの入籍をしたことだった。ビスランドへの思いを断ち切る意味もあり日本へやってきた八雲だが、一時期はますます拗らせている。それは、松江で所帯を持ってからも続いていたようだ。1892年1月に熊本から友人のエルウッド・ヘンドリックに送った手紙の中で八雲はこう記している。
