「残念ではあるが後悔はない」
しかし、なでしこジャパンの指揮官が佐々木則夫監督に変わると、自身の怪我も重なり、宮本は代表から遠ざかるようになる。2008年北京五輪、優勝した2011年ドイツワールドカップ、銀メダルに輝いた2012年のロンドン五輪に宮本の姿はない。人生にたらればは禁物だが、「もしもサッカーに専心していたら」と後悔することはなかったのだろうか。
「もちろん代表に選ばれなかったら悔しいし、北京五輪の前に若い選手が代表に入ってきて、自分が外れてしまった。育児しながらで自分の時間が取れなかった影響はあるとは思います」
実はそのころ、義父が亡くなっている。看病で夫や義母に耀大くんを預けることができず、十分なトレーニングができなくなったことも重なった。
「ただ、どんな事情があっても、ピッチに立ったら選手として評価される。それも含めて自分の実力だと思っています。残念ではあるけど、後悔はありません」と宮本は表情を引き締め、キッパリと言い切った。
産んでいなかったら、それ以前にやめていた
「それに、出産をしていなかったら、それ以前に選手をやめていたと100%言い切れます。子どもを産むまでは、サッカーを楽しいとは思っていなかったから。『やらなきゃいけない』と義務に近い感覚で、オフの日も『休んでちゃダメだ』と考えていました。とにかくサッカーをやり続けなければと自分を追い込んでいたんです」
10カ月間サッカーを離れたことで、「心からサッカーを楽しいと思うようになった」。だからこそ、宮本は引退後もサッカーに関わり続けている。

