組織改革を成功させるリーダーとは、どんな人か。経営コンサルタントの増田賢作さんは「どれほど優れた政策であっても、『どのように進めるか』『どう周囲を巻き込むか』という点が欠けていれば、結果として失敗に見えてしまう。中国・宋時代に活躍した名宰相のエピソードが象徴的だ」という――。

※本稿は増田賢作『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。

オフィスで会議中のビジネスパーソン
写真=iStock.com/VioletaStoimenova
※写真はイメージです

軍備軽視の「文人政治」のツケ

宋代の政治家、王安石(1021~1086年)が財政再建に乗り出した背景には、当時の宋(北宋960~1127年)が抱えていた深刻な構造的課題がありました。

宋は、唐の滅亡(907年)後の「五代十国時代」と呼ばれる混乱の時代を終息させる形で誕生した国家です。この時代、日本の戦国時代のように、各地で大小の政権が争いをくり返していました。

こうした背景から、宋は建国当初より「平和の維持」を重視。軍人による専横を警戒し、その地位を意図的に低下させ、代わって難関の科挙制度を通じて選ばれた文官(官僚)中心の政治体制を築きました。外交でも武力より和解を選び、北方の遼との和平を模索。1004年には「澶淵せんえんの盟」と呼ばれる合意を結び、一定の平和を保つことに成功します。

しかし、平和を重視してきた宋にも転機が訪れます。建国から約80年が経過した頃、西北の辺境に突如として現れたのが西夏(1038~1227年)という新興国家でした。その建国者・元昊げんこうは、自らを「皇帝」と名乗ったのです。

複数の皇帝の存在を認めることができなかった宋は、武力による対処に踏み切ります。しかし──ここで平和志向国家のひずみが露呈しました。軍人の地位が低く、文官が軍事指揮を担っていた宋軍は著しく弱体化しており、西夏に幾度も敗北を喫してしまったのです。