イギリス初、そしてヨーロッパ初の女性首相となったマーガレット・サッチャー。1982年4月、突如としてアルゼンチン軍がイギリス領フォークランド諸島に侵攻した際には、見事に祖国を勝利に導いた。経営コンサルタントの増田賢作さんは「この危機に立ち向かったサッチャーの姿勢から、現代の組織や企業経営においても通用する3つのリーダーの心構えが導き出せる」という――。
※本稿は増田賢作『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。
1979年5月にイギリス初の女性首相に就任したマーガレット・サッチャーは、その後の数々の局面で非凡なリーダーシップを発揮した(1990年11月21日、パリで開かれた欧州安全保障協力機構(OSCE)首脳会議にて)。(写真=AFP/時事通信フォト)
社会不安のなか政権を握った「鉄の女」
1970年代後半のイギリスは、かつての繁栄がうそのように深刻な経済危機と社会不安に陥っていました。産業革命の中心地として「世界の工場」と呼ばれたイギリスは、国際通貨基金(IMF)に支援を仰ぐまでに財政が悪化していたのです。
当時の労働党政権は、進行するインフレを食い止めるために賃金の抑制政策を打ち出しました。しかし、それが労働組合の怒りを買い、1978年から1979年にかけて空前の規模のストライキが全国で起きます。
特に、公務員によるストライキで街中にゴミがあふれかえる光景は、国民の記憶に深く刻まれました。この混乱の冬は、のちに「不満の冬(Winter of Discontent)」と呼ばれ、イギリスが機能不全に陥った象徴として語り継がれます。
この混乱のなか、リーダーシップを失った労働党は国民の信頼を回復できず、1979年5月の総選挙で敗北。代わって政権を握ったのが、保守党党首のマーガレット・サッチャーでした。
まずはインフレ退治に取り組んだが……
彼女はイギリス史上初の女性首相として注目を浴びながら、「鉄の女」と称されるほどの強硬な姿勢で改革に乗り出します。サッチャーはまず、10%を超える小売物価上昇率を抑制しようと試みました。そのために次のような大胆な政策を打ち出します。
•貨幣供給量の引き締め
•公共事業の削減と政府債務の縮小
•労働組合への規制強化
•公共事業の削減と政府債務の縮小
•労働組合への規制強化
しかし、これらの政策は短期的には痛みをともなうものであり、即効性はありませんでした。インフレはなかなか収まらず、経済は停滞し、失業率はむしろ悪化したのです。
