根強く残る「移民政策の不在」論

この梶田の学説の強い影響の下、イレギュラーな受け入れの結果として「定住する外国人に対する統合政策が欠如している」という批判も頻繁に行われてきた。例えば髙谷幸たかやさち(2019)は、日本の非正規滞在者を対象とした研究で、日本における外国人政策の基本的姿勢は「あらゆる移住ルートを通じた定住化の阻止」であるとする。

こういった批判は日本の政策的な不備を指摘し、その改善を訴えることを目的としている。その一方で、興味深いことにその対極にある、外国人の受け入れ自体に対して否定的な論者の間にも「移民政策が不在である」といった認識が見られる。

例えば、産経新聞は2023年7月頃以降の日本の外国人受け入れ政策に関する連載の中で、単なる「外国人嫌い(ゼノフォビア)」とは区別される、なし崩しの受け入れによる弊害を指摘し、「欧米の轍を踏むな」とのメッセージの下、移民、外国人の受け入れに否定的な論説を展開している。この前提には日本において「なし崩し」ではない、「計画された移民政策」が不在であるという認識がある。

このように、「移民政策の不在」を問題視し、そこから自らの理想とする状態――外国人受け入れ/排斥――を訴えるという構図自体は、政治的立場にかかわらず、共通しているのである。

「移民政策不在論」の功罪

こうした「移民政策不在論」の功罪は大きい。その論者にとってのメリット(功)は、現状に対する批判的な視点を提供できることである。これは立場を問わず、自らの理想とする状況に対して、手段面での欠如、不備を指摘するという意味において、建設的なものといえるだろう。

是川夕『ニッポンの移民――増え続ける外国人とどう向き合うか』(筑摩書房)
是川夕『ニッポンの移民――増え続ける外国人とどう向き合うか』(筑摩書房)

一方、デメリット(罪)は、これまでの日本における外国人に関する政策を「不在」ないしは「その場しのぎのつぎはぎだらけのもの」と一蹴することで、それを体系的に理解する視点が失われ、客観的かつ反省的に次の政策を考えることができなくなってしまうことである。その結果、次にやることも思い付きでいいということになってしまう。実際に「ある」ものを「ない」と名付けることにより、その内容をブラックボックス化することで、批判のための鋭い一撃が、むしろ権力の恣意的な濫用を生むことさえある。

また、諸外国の移民政策の経験を活かすためのプラットフォーム自体を失わせてしまう。「移民政策が不在である」と批判する場合、当然のことながら、政府が実態としてやっていることは移民政策ではないということになり、他国の例を建設的に参照する視点は失われがちである。

その結果、「移民政策の不在論」が、かえって移民の政策の不在を助長するという皮肉な結果を生むことになるだろう。私たちが今すべきことは日本がこれまでやってきたことを体系的に明らかにした上で、その内在的論理の軌跡をしっかりと辿ることである。その上に反省や今後の改善のための方向性が初めて見えてくる。

【関連記事】
小泉進次郎氏でも、高市早苗氏でもない…いま自民党内で急浮上している「次の首相」有力候補の意外な名前【2025年9月BEST】
謝罪も、論破もいらない…金銭を要求してくるカスハラ客を一発で黙らせる"ひらがな二文字の切り返し"【2025年8月BEST】
習近平が最も恐れる展開になる…高市首相が切り出せる「日本産水産物の輸入停止」への3つの対抗手段【2025年11月BEST】
高市早苗氏でも、麻生太郎氏でもない…「まさかの自公連立崩壊」で今もっとも頭を抱えている政治家の名前
元海自特殊部隊員が語る「中国が尖閣諸島に手を出せない理由」【2020年BEST5】