日本は「移民国家」である

以上を踏まえ、現代日本の移民政策の特徴について整理してみたい。日本においてはしばしば「移民政策の不在」ということが指摘されてきた。これは制度レベルでの移民政策の不在というだけではなく、その前提となる集合意識など社会的なレベルでの移民政策の不在といってよい。

こうした問いかけに対して、本章では日本は既に国際的な基準では「移民」と呼ぶべき人々を受け入れていること、及びその規模は労働移民を中心として国際的に見てもかなりの規模であることを明らかにした。また、労働移民の受け入れに限ってみれば、他の先進国と比較しても永住型の受け入れが多く、むしろ、リベラルで開放的な労働移民政策をとっている。

腕を組んで並び立つ工場労働者たち
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もちろん、「リベラル」といった場合、単に永住型の受け入れが多いというだけではなく、社会保障の受給権など、社会統合政策がどの程度整っているかといった視点も重要となることは言うまでもない。しかしながら、この点について米国の政治学者であるエリン・エラン・チャンは、日本の移民政策が永住者を始めとした定住外国人の権利保障に関して、少なくとも制度上は、欧米の移民受け入れ先進国と比較しても遜色ないものであることを指摘している(Chung 2010=2012)。

さらに国連やOECDといった国際機関の用いる基準によっても、日本は移民政策をとらない特殊な国ではないことが示されている。むしろ、国連の基準に基づけば移民政策の整備状況は進んでいるとさえ言える。

日本が移民国家である自認がないワケ

また、日本の移民受け入れの実態について20年以上にわたり研究してきた社会学者のグラシア・リュー・ファーラーは、日本を「移民国家」と捉えることの重要性を指摘している。

ファーラーは日本が自らを「移民国家」と考えない理由として、制度としての国家と特定のエスニック集団を同一視するエスノナショナリズムが強いことに加え、移民国家をアメリカやオーストラリアのような伝統的な移民国家(入植型の移民国家)のイメージで理解しているからであるとする。

その上で、「移民国家」という用語を「外国人に複数の合法的な入国経路と永住のための法的経路と制度的枠組みを提供する国」と定義することを提案し、それに照らせば日本も移民国家と捉えることができるとしている(Liu-Farrer 2020)。

このリュー・ファーラーの指摘の持つ意味は大きい。なぜなら、日本が移民国家としての特徴を現実には備えていながら、社会の自己認識(アイデンティティ)のレベルで移民国家であるといった認識が存在しないと批判することは「啓蒙的」ではあるものの、その一方で公式の制度と社会の自己認識を同一視してしまうことで、むしろかえってエスノナショナリズムに与してしまう、つまり日本を移民国家として認めることを妨げてしまうからだ。

社会の自己認識のレベルでそういった認識がないとしても、制度として移民国家であることはあり得るし、それは移民社会のあり方として珍しいものではない。そのようなありようも含めて、私たちは日本を移民国家、そして移民社会として捉えていく必要があるだろう。