※本稿は、三橋健『神様に願い事を叶えてもらう!厄除け・厄祓い大事典』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
言葉には「魂」が宿っている
日本人は昔から「言葉にも『魂』が宿っている」と考えてきました。「魂」は「心」と置き換えることもできます。それと同じように、日本人は「世の中にあるすべてのものに『魂』が宿っている」とも考えてきました。
日本の国歌『君が代』に「さざれ石」という石が出てきます。
この歌に登場する「さざれ石」とは、もともと「小さい石」や「細かい石」のことをさしていました。小さな石が集まっている隙間に炭酸カルシウムなどが入り込むことによって固まり、岩のように大きな塊となるのです。
歌詞には、長い年月をかけて、小さな石が集まってできた岩に苔が生じるように、国民の一人ひとりが結束することによって国が末長く栄え、また、平和でありますように、という願いが込められています。
その象徴として、さざれ石が用いられているというわけです。
「いってらっしゃい」には祈りが込められている
一方、三重県伊勢市には「二見興玉神社」があります。この神社を有名にしているのは沖合約700メートルに鎮座する「夫婦岩」です。大小二つの岩が仲睦まじく並ぶ姿から、夫婦円満、良縁成就を願う人びとが多く訪れます。
このように、日本人は石や岩をはじめ、山、海、さらには抽象的で目に見えない年にも魂が宿ると考えてきましたので、当然ながら、人間の口から発せられる「言葉」にも魂が宿ると考えられてきました。これを「言霊」といいます。
言葉には「祈り」があると私は思います。
たとえば、「孫を持つおばあちゃんの言葉」の意味を考えてみましょう。孫が朝、学校へ行くときに「気をつけていってらっしゃいね」と言葉掛けをするとき、その言葉には「交通事故などに遭いませんように」というおばあちゃんの「祈り」「願い」が込められています。
「祈り」は「期待」「希望」さらには「本誓」「本懐」などと言い換えることもできると思いますが、仏教でいえば「本願」になります。
神様は、昼も夜も、一日中、みなさんを守ってくださっています。古い祝詞にも「夜の守昼の守り」と見えています。これらの言葉のなかには神様の人間に対するこのうえない慈悲の心が見られます。

