“口は災いのもと”になる
ところで、言葉に含まれる魂は、いったん口から出ると「発動」いたします。発動とは「動き出すこと」「活動をはじめること」ですが、その後、どんどん変化していってしまうのです。
政治家が講演会やパーティーの席で、来客に向けたサービスのつもりでうっかり失言してしまうことがあります。たとえウケ狙いで発したつもりの言葉であっても、いったん発動してしまうと、自分の手には負えなくなってしまうのです。
それは、先に述べたように、発動した言葉が変化していっているからです。「言葉は慎むべきだ」という戒めはよく聞かれることですが、それは、言葉に魂がある、つまり、言霊があるからにほかなりません。
したがって、神主さんが神前であげる「祝詞」は、絶対に間違えてとなえてはいけないのです。祝詞は、祭祀のときに神様の前でとなえる言葉です。古くは、神様の御言として、祭りの場に参集した人びとに向かって宣り聞かせることもあり、それを神のお言葉として厳守していくことが、神の道の実践にほかなりません。
神前でとなえた言葉ですから、そこには嘘偽りがまったく見られません。みなさんが普段、口にする言葉も、嘘偽りが見られないように心がけるべきであり、「言葉は発動して変化する」ということをつねに心がけておくべきです。それが、災いを寄せつけない、つまり、厄祓いをこまめに行っていることにも通ずることになります。
「お守り」「お札」は、一年経つと“汚れる”
神社に行くと、「お守」や「お札」を受けて持ち帰ります。
お守りは肌身はなさず持ち、そしてお札は家の神棚へおまつりします。これが、神様のご利益を得るための作法です。
神社では、お守りやお札ができあがると、神前にお供えし、祝詞をあげ、お祓いをして“神様のしるし”として授与してくださいます。ですから、私たちがお守りやお札を受けることは、その神様の「分霊」を身につけることになるのです。
お守りやお札は、私たちが犯した罪や、ふりかかってくる災いの身代わりとなられます。また、罪や穢れや災いをすっかり吸いとってくれます。俗な言い方をすれば、お守りやお札は、冷蔵庫の悪臭を吸いとる脱臭剤のような働きをしてくれるのです。
しかし、その脱臭剤も、一年以上入れておくと、ほとんど効力がなくなってきます。それと同じように、お守りやお札も、一年もたつと、私たちの罪や穢れや災いのために、すっかり汚れてしまうのです。
だから、いつも、新しいお守りやお札を受けるように心がけなければなりません。
そして、古いお守りやお札は、神社の「古札納所」に感謝を込めてお返しします。私たちの罪や穢れや災いを、身代わりとなって吸いとってくださった古いお守りやお札は、やがて「お焚き上げ」されます。これを「焼納祭」と呼ぶところもあります。

