完璧を目指すことの弊害は何か。ペンシルベニア大学ウォートン校教授で組織心理学者のアダム・グラントさんは「あるアメリカの研究では、今日の優れた建築家たちは学生時代、必ずしも模範的な優等生であったわけではなく、大半が平均B評価で大学を卒業している。完璧主義者は完璧を追求する過程で、主に3つの過ちを犯す傾向があることがわかっている」という――。
※本稿は、アダム・グラント(著)、楠木建(監訳)『HIDDEN POTENTIAL 可能性の科学――あなたの限界は、まだ先にある』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
完璧主義者が目指す4つのゼロ
私が子どもの頃、母はしばしばこう言ったものである。「学校でどんな成績を取ろうと関係ないわ。あなたがベストを尽くしてさえいれば、それで私は満足よ」と。
そして、こう付け加えた。「でも、もしAを取れなければ、それはあなたがベストを尽くしていないってことよね」
母は微笑みながら言ったものの、私はこれを真剣に受け止めた。何事においても完璧でなければならない、と考えたのである。
全力で失敗を回避し、成功を追求することは、一つの姿勢である。まあまあの出来で満足するような心臓外科医に、手術を任せたい人などいないだろう。
しかし、完璧主義とは、期待を究極のレベルにまで引き上げるものである。面接でよく耳にするような「私の最大の弱点は、完璧すぎることです」といった次元の話ではない。完璧主義者とは、もっと極端なのである。
完璧主義とは、何事にも万全を期して努力することを指す。完璧主義の目標は、欠点ゼロ、誤謬ゼロ、欠陥ゼロ、失敗ゼロである。
例えば、私の大学時代には、SAT試験(アメリカの大学進学適性試験。1600点満点)で満点を取って己に陶酔し、電子メールのユーザー名を「IGot1600」とした同級生がいた。あるいは、卒業から十年を経ても、自分の経歴書やリンクトインのプロフィールに、卒業時のGPA4.0(アメリカの、成績評価における最高値)を記載し続ける人もいる。
外見や内面の欠点を内心で恥じながらも、ソーシャルメディア上では完璧な人生を演出する知人たちも、完璧主義の範疇に入るだろう。

