広島市で小学1年生の女児が誘拐・殺害された事件から22日で20年を迎える。事件は2005年11月、広島市安芸区で起きた。ペルー人の男が自宅アパート前で、下校中の女児に声をかけた後、2階の部屋で首を絞めて窒息死させ、その後、遺体を段ボール箱に入れて、近くの空き地に遺棄したという。事件は、殺人罪などに問われ、無期懲役判決が確定している。
その9日後、今度は栃木県今市市(現:日光市)で、やはり下校中の小学1年生の女児が誘拐・殺害された。遺体は60キロ離れた茨城県常陸大宮市の山林で、刺殺体となって発見された。胸など10カ所を刺されていたという。
わずか10日の間に広島県と栃木県で2人の女児が連れ去られ殺害されたため、世間では子供の安全への関心が急速に高まった。しかし、対策として取り上げられたのは、防犯ブザーやパトロールといった伝統的な手法だけで、グローバル・スタンダードである「犯罪機会論」の普及は進まなかった。そこで、20年を迎えるこの機会に、2つの事件を犯罪機会論から検証し、どのような対策があり得るのかを考えてみたい。
「不審者」ではなく、場所・状況・環境の条件を解明せよ
犯罪機会論は、研究者によって、状況的犯罪予防、環境犯罪学、合理的選択理論、日常活動理論、犯罪地理学、犯罪パターン理論、防御可能空間、防犯環境設計、割れ窓理論など、様々な名前が付けられている。
それらは、ミクロかマクロか、ハードかソフトかという点で、力点の置き方が異なるものの、いずれも「不審者」を識別する方法を解明しようとするものではなく、犯罪が起こる確率の高い場所・状況・環境の条件を解明しようとするものだ。犯罪機会論では、40年以上にわたる研究の結果、犯罪が起きやすいのは「入りやすく見えにくい場所」であることがすでに分かっている。
様々な犯罪機会論のうち、ソフト面、つまり「心理的に入りやすく、心理的に見えにくい場所」を重視するのが、ラトガース大学のジョージ・ケリングとカリフォルニア大学のジェームズ・ウィルソンが1982年に発表した「割れ窓理論」だ。
割れ窓理論で言う「割れた窓ガラス」とは、管理が行き届いてなく、秩序感が薄い「公共の場所」の象徴だ。この理論では、地域住民や自治体職員が、その場所のことに無関心・無気力・無責任であるから、施設の割れた窓ガラスが放置され続けていると考える。言い換えれば、割れた窓ガラスが放置されているのは、その場所に関係する人々の「縄張り意識と当事者意識」が低いからだと考えるのだ。
「縄張り意識」とは、「入りにくさ」のソフト面、つまり、見えないバリアのことだ。縄張り意識が感じられない場所は、犯罪者であっても警戒心を抱くことなく、気軽に立ち入ることができる「入りやすい場所」だ。
一方、「当事者意識」とは、「見えやすさ」のソフト面、つまり、心の視線のことだ。当事者意識が感じられない場所では、犯罪者は、「犯罪を行っても見つからないだろう」「犯罪が見つかっても通報されないだろう」「犯罪を止めようとする人はいないだろう」と思い、安心して犯罪を始められる。要するに、その場所は、犯罪者からすれば、見て見ぬ振りをしてもらえそうな「見えにくい場所」なのだ。
落書き、放置自転車、公園の汚いトイレにも注意
このように、割れた窓ガラスが放置されているような場所は、犯罪者にとって、「心理的に入りやすく、心理的に見えにくい場所」になる。犯罪者に、そのように思わせてしまうシグナルとしては、施設の割れた窓ガラスのほかにも、例えば、落書き、散乱ゴミ、放置自転車、廃屋、伸び放題の雑草、不法投棄された家電ゴミ、野ざらしの廃車、壊れたフェンス、切れた街灯、違法な路上駐車、公園の汚いトイレなどがある。
こうした乱れやほころびは、犯罪者に「歓迎のメッセージ」を伝えるシグナルになってしまう。逆に、「公共の場所」の乱れを直し、ほころびを縫えば、そのことが、犯罪者に対する「嫌な知らせ」になる。つまり、そのような場所は、犯罪者にとって「心理的に入りにくく、心理的に見えやすい場所」になる。

