「あの人を置いて逝かないで…私、困る」
2015年9月。中国地方在住の京橋九美さん(仮名・50代)の72歳の父親は、数日前から変な咳が出始めたため、母親に付き添われて病院を受診した。「肺がんのステージIVです。転移が多数見られ、リンパへの転移も認められます」。医師から告知された。
その後、明らかに“壊れて”いった母親について京橋さんはこう語る。
「専業主婦の母は昔から『子どもたちより旦那様』で、妻としては最高の人だったと思います。しかし、身だしなみや自分の部屋を綺麗にしておくこと、時間を守ることに対して特に厳しく、口うるさかったため、私は自分のペースで生活することができず、苦手に感じていました。
私にとっては本音を言えるのは父で、思春期に嫌悪感のひとつも抱いたことはありません。今思えば、それも“母のおかげ”とは思いますが、友だちにとってのお母さんの存在が『羨ましい』と思うことが多々ありました」
父親から「がんだった」と告げられた京橋さんは、「あの人(母親)を置いて逝かないで……困る」と追い縋った。父親は笑って、「仕方ないから許してくれ」と言った。父親は、娘が「母親と決定的に相性が悪い」と感じていることに気づいていたが、病身でなすすべがなかったのだろう。
子どもより“夫ファースト”な母親
商社勤めで忙しい父親は転勤が多く、5歳上の兄と一家4人、生まれ育った地元と東京本社とを行ったり来たりした。
「父のことが大好きな母はいつも『お父さんを休ませてあげて! 子どもは外で遊んで!』が口癖でした。完璧主義で厳しい母と温厚で頑張り屋な父は、『どちらかが先に逝ったら、続けてもう1人も逝っちゃうのでは?』と昔から言われていたほど仲良しでした」(京橋さん、以下同)
やがて兄が県外の大学進学のために家を出たが、京橋さんが「県外の大学に行きたい」と言うと、両親の反対にあった。
「『女の子は自宅から通える大学! 職場!』と父が強く考えていて、母は父に意見しない人。行きたい大学に行かせてもらえず、悔しい思いをしました。だから地元の短大を卒業した後、初めて両親に反発して、反対されていたアパレル系の販売員の仕事に就きました」
「実家を出るには結婚しか道はない!」そう確信していた京橋さんは、当時交際していた高校の同級生と22歳の時に結婚を決め、23歳になってすぐに実家を出た。
結婚してすぐ、製造業の営業をしていた夫の配属先が遠方に決まったため、京橋さんは仕事を辞めて専業主婦になり、24歳で長女を、27歳で次女を出産した。

