歴史上の人物には同性愛に関する逸話が数多く残されている。中国文学者で明治大学 教授の加藤徹さんは「中国の故事成語にも同性愛にまつわるものがある。昔の東アジアの権力者階層にとって、子孫を作る義務とは無縁な同性愛は当人どうしの自由な純愛だった。異性愛では得られないものがあったのではないか」という――。(第1回)

※本稿は、加藤徹『後宮 殷から唐・五代十国まで』(角川新書)の一部を再編集したものです。

時の権力者たちが愛した「男寵」

歴史を振り返ると、女の権力者による「逆ハーレム」の事例は数えきれないほどある。また、男を愛す男の権力者もいた。

ここでは 変則的な存在である男寵についても言及しておく。「面首」は、女の権力者に囲われる異性愛的男妾を指す。これに対して、男の権力者が囲う同性愛的男妾を漢文では「男寵」(だんちょう。なんちょう)と呼ぶ。男寵関連の故事成語に「龍陽君りゅうようくん」「分桃ぶんとう」「断袖だんしゅう」 などがある。

故事『男袖』の由来となった官人、董賢
故事『男袖』の由来となった官人、董賢(写真=金古良/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

『戦国策』魏策に載せる話。

紀元前4四世紀の末ごろ、戦国時代の の国の王が、龍陽君という男寵といっしょに船に乗り、釣りを楽しんだ。龍陽君は魚を10十匹あまり釣り上げると、涙を流した。

いずれ捨てられてしまう……

魏王が「なにか心配ごとでもあるのか。言ってごらん」と言うと、龍陽君は「心配ごとはございません」「ならば、なぜ泣く」「王様のために釣った、この魚のせいです」「どういうことだ」「臣ははじめ、魚が釣れて嬉しく思いました。でも、そのあと大きな魚が釣れると、すでに釣った雑魚を捨てたくなりました。そこでふと気づいたのです。臣は、こんな不細工な顔ですが、王様の枕席に侍るお役目をいただき、人の上に立つ厚遇をいただいております。でも、天下の美人は多うございます。いずれ臣も雑魚のように捨てられるのではないかと思い、つい涙を流してしまったのです」。

魏王は「ありえん。どうしてすなおに打ち明けてくれなかったのか」と言い、国中にお触れを出した。「今後、余に美人を薦める者がいたら、一族皆殺しの極刑にする」。

男女のあいだでもまれな、一途な愛である。