自分の親切に相手が「ありがとう」と言わなかったことを「失礼だ」と思ったことはないだろうか。編集者でYouTube「ゆる言語学ラジオ」スピーカーの水野太貴さんは「コミュニケーションには地域差があり、『ありがとう』と返すことが当たり前ではない地域もある。東北や九州地方では、お礼を言う代わりに別のフレーズのほうがメジャーなことがある」という――。

※本稿は、水野太貴『会話の0.2秒を言語学する』(新潮社)の一部を再編集したものです。

紙にありがとうの文字を書く子供
写真=iStock.com/Hakase_
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マダガスカル島の不思議なコミュニケーション

「なあ、いつお前の兄さんに会えるんだ?」
「もし5時より前に来ても、決して会えないよ」

こんな会話を聞いたら、あなたはどう思うだろうか。5時以降に行けばお兄さんに会える、と推論するのではないだろうか。ところが西インド洋に浮かぶマダガスカル島では、その常識は通じない。この応答は、「5時以降に来たら会える」という保証を与えないのである。

コミュニケーションにおける正解は万国共通ではない。文化にも大きく影響を受けるからだ。遠く離れたマダガスカルではちょっと信じがたいくらい異なるルールで社会が作られている。

英語圏以外に目を向けると、びっくりする文化はいくらでもある。例えばブラジル・アマゾンの奥地で話されるピダハン語には、「こんにちは」とか「さようなら」とか「ご機嫌いかが」にあたる語がない。だから、誰かが村にやってきてもまったく声をかけないという。もっと言うと、何か望ましいことをしてもらっても「ありがとう」と言わないそうだ。

その結果、この言語を研究した言語人類学者のダニエル・L・エヴェレットは、アメリカに帰ったときにお礼を言い忘れて幾度となく気まずい空気になったそうだ。

あえて居場所をぼかすマダガスカル人

冒頭で挙げたマダガスカル社会もそうだ。ここでは、協調の原理が当てはまらないのだ。もう一つ会話例を挙げよう。

「あなたのお母さんはどこにいるの?」
「彼女は家か市場にいるね」

一見すると自然な会話だが、日本語話者がこう答えるのは、母は家か市場にいると思っているときである。ところがマダガスカルでは、母がどこにいるかわかっていたとしてもこう答えるようなのだ。

なぜこんな誤解を招くことを言うのだろうか。