皇太子ご成婚パレードのお手振り力

戦後巡幸以降、私たちは天皇や皇族が国民に向かって「お手振り」をする光景に幾度となく接してきた。特に印象に残っているのは、なんといっても戦後二度の「ご成婚」時のパレードである。

現在の上皇(当時は皇太子)夫妻と天皇夫妻のパレードを比較してみると、美智子上皇后は時折「お手振り」はするものの、むしろ手を振り続けていたのは上皇のほうだった。それも、上皇后はショールを羽織っていて、それを手で押さえていたからである。

それに対して、天皇(当時は皇太子)夫妻の場合、どちらも「お手振り」を続けていた。雅子皇后はショールを羽織ってはいなかった。白い手袋をして、手前に映っていることが多かったため、皇后が「お手振り」をする姿が強く印象に残った。天皇は手袋をしていないので、どうしても皇后の手が目立つのだ。

1993年6月3日、「朝見の儀」の後、天皇皇后両陛下と記念撮影をする皇太子徳仁さまと皇太子妃雅子さま(当時)
1993年6月3日、「朝見の儀」の後、天皇皇后両陛下と記念撮影をする皇太子徳仁さまと皇太子妃雅子さま(当時)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

天皇や皇族が国民に向かって「お手振り」をする光景は、戦後の「開かれた皇室」というあり方を象徴するものになっている。国民の中には、それで励まされたと感じる人たちも少なくないであろう。

愛子内親王の場合、皇室に生まれたわけだから、幼い頃から国民に向かって「お手振り」をする経験を数多く重ねてきた。初めての「お手振り」は、1歳を過ぎた頃、「新年祝賀の儀」に向かう車の中からだった。両親の間に挟まれまだチャイルドシートに座っていた。

それから20年以上の月日が流れ、公務の機会が増えることで、愛子内親王の「お手振り」の機会も格段に多くなってきた。これは、皇族の務めとして極めて重要なものになってきている。

実現されない内親王のご成婚パレード

悠仁親王も、成年式を終えた報告のために伊勢神宮を訪れた時の「お手振り」がかわいいと評判になった。成年皇族として公務が増えれば、そうしたことが話題になる機会も増えていくであろう。

ただ、悠仁親王が将来において結婚した場合、パレードが行われるかどうかは未知数である。というのも、皇太子の結婚であれば、正式にパレードが行われるであろうが、悠仁親王がその立場になる可能性は極めて低いからである。秋篠宮の場合も、「ご結婚の儀」が執り行われた後、車列で新居に向かう間のことがパレードとして報道はされたものの、皇太子夫妻のパレードのような正式なものではなかった。

となれば、悠仁親王が配偶者とともにパレードを行い、その際の「お手振り」が大々的に報道されることはないであろう。そこにも、悠仁親王の曖昧な立場が示されている。

ただ、国民が本当に見たいと望んでいるのは、愛子内親王の「ご成婚パレード」かもしれない。これは、現在のところはあり得ない。内親王が結婚し、パレードに臨むことはないからだ。

しかし、もし愛子内親王が次の天皇ということになっていれば、その点は大きく変わっていたはずだ。パレードの車にどういった男性が同乗するかは予想もできないが、パレードで愛子内親王が白い手袋で「お手振り」する姿が、国民から熱く迎えられることは間違いない。その日を待ち望んでいる人たちも少なくないに違いない。

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