皇族による「お手振り」の重要性

宮内庁が、古来伝わる馬事芸能を保存しているところに見られるように、皇室と馬術との関係は深い。日本馬術連盟の名誉総裁は、常陸宮の華子妃である。上皇も8歳から乗馬の経験があり、学習院高等科では馬術部の主将を務めていた。

愛子内親王も幼い頃から御料牧場で馬と親しんでおり、乗馬の経験もある。その点では、愛馬の日の馬事公苑訪問を、愛子内親王がとても楽しみにしていたことは十分に頷ける。

それにしても、今回のことを通して私は、国民の間に愛子内親王の人気がいかに高いものであるかを実感した。そして感じたのは、天皇や皇族による「お手振り」の重要性である。

私はこれまでに2度ほど新年の一般参賀に参加したことがあり、その際には、天皇がマイクを通して「おことば」を述べることになっている。だがそれは1982(昭和57)年の一般参賀からのことで、それ以前は、バルコニーから「お手振り」をするだけだった。それでも、参賀に訪れた一般国民は、無料で配られる日の丸を振って、それに応えていたのだ。

昭和天皇の「戦後巡幸」がはじまり

天皇や皇族は、宮殿のバルコニーからだけではなく、列車や車の中から、沿道の人々に向かって「お手振り」をする。手を振るという行為は、皇室と国民とをつなぐ上で極めて重要な役割を果たしている。

しかも、そうした慣習が生まれたのは、戦後になってからである。そのはじまりは、昭和天皇が戦後すぐに行った「戦後巡幸」にある。昭和天皇は日本各地で「お手振り」をした。それは、戦争で疲弊した国民を励ますために行われたもので、天皇と国民と距離を縮める役割も果たすこととなった。

1946年10月、昭和天皇の戦後巡幸(岐阜県大垣市)
1946年10月、昭和天皇の戦後巡幸(岐阜県大垣市)(写真=毎日新聞社「昭和史第13巻 廃墟と欠乏」より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

それまでは、天皇が一般国民の前に姿を現すということ自体がほとんどなかった。だからこそ、1945(昭和20)年8月15日の玉音放送を通して、国民は昭和天皇の声を初めて聞いたのである。