明治時代、東アフリカに位置するタンザニアの島に28人もの日本人女性が暮らしていた。なぜ、彼女たちはそこにいたのか。新刊『迷宮ホテル 異国の路地と宿の物語を彷徨い歩く』(辰巳出版)より、現地に今も残るその痕跡を紹介する――。

※本稿は、関根 虎洸『迷宮ホテル 異国の路地と宿の物語を彷徨い歩く』(辰巳出版)の一部を再編集したものです。

写真=関根虎洸
70年前までからゆきさんが暮らしていたという部屋。(写真=関根虎洸)

オペラ「椿姫」由来の名を冠した部屋

ザンジバル・エマーソン・スパイス(タンザニア/ザンジバル島)の天井の高い部屋には、紫色のカーテンと天蓋付きのベッドが設えられている。エキゾチックな雰囲気が漂う部屋の名前が「ヴィオレッタ」と知って、私はすっかり紫色を意味するバイオレットのイタリア語だろうと思い込んでいた。

エマーソン・スパイス ヴィオレッタルーム(写真=関根虎洸)
エマーソン・スパイス ヴィオレッタルーム(写真=関根虎洸)

しかしホテルのホームページから、ジュゼッぺ・ベルディのオペラ「椿姫」の主人公ヴィオレッタにちなんで名付けられていることが分かった。椿姫の題名くらいは知っていたが、私はそれまで物語の内容を知らなかった。ちなみに椿姫の原題「ラ・トラビアータ」を直訳すると「堕落した女・道を踏み外した女」を意味する。これは主人公のヴィオレッタがパリの社交界を舞台にした高級娼婦だったからに他ならない。

4階建てのホテルには内装が異なる11部屋があり、各々の部屋に名前が付いている。アンティークのインテリアはすべてスワヒリとアラブの伝統様式がミックスされたスタイルだ。かつてはアラブのスルタン(君主)が所有し、その後は香辛料を扱うインド系の貿易商が使用する建物だった。

建物のもっとも古い部分は1836年の調査に記録されているというから、築180年を超える建物ということになる。アラブ様式の古い建物はザンジバルで最初の観光ホテルの一つ“スパイス・イン”として営業を開始するが、やがてアメリカ人オーナーによって改修され、2011年に“エマーソン・スパイス”という名のホテルに生まれ変わったのだ。