「また会えると思っていた」が後悔を生む

でも後に、彼女が亡くなってから私は思ったのです。「会えるのが本当にこれで最後のつもりで、私は彼女を慰めたり支えたりしたかしら?」と。いいえ。それはぎゅっと詰まった濃い時間ではありませんでした。賑わっているカフェで彼女が仕事をしているときに、私は話をしようとしたのです。会っているときは楽しかったけれど気もそぞろになりがちでした。それは仕方がありません。私は、もっと沢山彼女と話す機会があって、そうしてもっと沢山のぶつかりあい(と歩み寄り)があるのだろうなと思っていたのです。その時間を本当に特別なものにしなくては、どうしても今すぐに――とは思わなかったのです。

しかしストア派は、誰に対してもそうですが、特に身近な人々との出会いには、これが最後のつもりで臨むべきだといいます。この教えはなかなか受け入れがたいものです。特に子どもの死について考えるのは、ましてそれが自分の子どもの場合には。