「健康を増進するための入浴」を推奨

記事は次のように続く(*11)

其体外に滲出しんしゅつする所のものは常に皮膚面に附着ふちゃくして有害成分を有し、ややもすれば伝染病毒感染の媒介となることあり、故にこの有害成分を脱却せんと欲せば温湯に浴するのほかに其手段あるべからず

身体の外ににじみ出るものとは汗や垢のことだと推測されるが、これらは有害な成分を持つため、ともすれば伝染病の感染の媒介となることがある。この有害な成分を取り除くため、温かい湯に入るほかないと、入浴の必要性を強調している。

加えて、「健康を増進」するために入浴する者は多く、清潔な湯を使い身体を温め、皮膚を石鹸せっけんで洗い清潔にする必要があると説かれている(*12)。これは当時、身体を石鹸で洗うことがイギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国やアメリカで勧められていたためである(*13)

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この記事は、欧米諸国との二重の比較から日本の入浴習慣を位置づけようとしている。ひとつには、欧米に比べて日本には入浴習慣が古くから存在していること、もうひとつには近代公衆衛生の考え方が進んでいる欧米で、入浴習慣が衛生的でよいものだと考えられていたことである。

日本には欧米と比較して入浴という美しい風習があるという主張は、欧米の衛生知識を基盤とするからこそ成り立つといえるだろう。

(注)
(*11)無記名「沐浴の沿革及其衛生上の必要」『大日本私立衛生会雑誌』172号、716―717頁
(*12)無記名「沐浴の沿革及其衛生上の必要」『大日本私立衛生会雑誌』172号、716―717頁
(*13)V・スミス、鈴木実佳訳『清潔の歴史 美・健康・衛生』東洋書林、2010年

「明治30年」という転換点

入浴を好む日本人という記述は、その後の機関誌のなかでも何度か登場する。

たとえば、1902(明治35)年刊行の第234号には「入浴装置の改良を望む」という記事がある。「日本人は世界中最も多く入浴を好む」という記述から始まり、「其身体を清潔ならしむると云ふの点に於いては異議なし」と述べられている(*14)。この記事を寄せたのは亀井重麿かめいしげまろという人物であるが、別のアプローチで浴場に対する言及もしており、後ほど紹介したい。

さて、なぜ明治30年代に入って「入浴好きな日本人」という言説が現れたのだろうか。その理由や背景をひとつに絞ることは難しく、いくつかの要因があると考えられる。ひとつに、明治30年は、明治10年代や明治20年代と大きく異なっている点がある。

明治元年に生まれた子どもは明治30年には30歳である。つまり、明治30年とは明治になってから生まれた人々が社会構成上の労働力の主力になり、江戸時代を知らない人々が社会の主流になりつつあった時代である。

(注)
(*14)亀井重麿「入浴装置の改良を望む」『大日本私立衛生会雑誌』第234号、1902年、759頁