「清潔さを保っていれば、西洋人からバカにされない」

ここにひとつの文献を紹介したい。1888(明治21)年、福地復一ふくちふくいち(*15)という人物によって書かれた『衛生新論』である(*16)。出版の理由として、当時「衛生」領域で新説が登場している一方で、日本ではまだこれらの新説を編纂へんさんした衛生書がないことがまず挙げられている。

しかし従来の書籍は欧米の事例に依拠しているのみで、日本人の習慣に合うものになっていない。そこで最新の学説を取り入れつつ、日本に適した事例を紹介するために本書を編纂したと説明している(*17)

同書には「澡浴そうよく論」という章に、入浴に関する具体的な言及がある(*18)。身体の清潔に注意しないと、皮膚の気孔を塞ぐことになり皮膚病になる恐れがある(だからこそ入浴しなければならないという)。

さらに、欧米の上流階級を除く人々の入浴の回数が少ないが(月に一回、あるいは隔月に一度の頻度である)、日本には「公浴場」(*19)が至るところにあり、身体を「清潔」にしていると述べられている。そのうえで、これに続いて次のような記述がある(*20)

衣服其他ノ清潔ニ注意スルトキハ決シテ西洋人ノ称スルガ如ク東洋人種ハ不潔ナリトノ嘲笑ちょうしょうヲ受クルコトナカルベシ

衣服その他を清潔に保つことに気をつけていれば、「西洋人」から「東洋人種」は不潔だと馬鹿にされることはないというものだが、これは西洋の人々からアジア人は不潔だと嘲笑されたことが当時あったということである。

(注)
(*15)福地復一は1894(明治27)年から1897(明治30)年まで東京美術学校図案科の教師を勤めた人物であり、1900(明治33)年のパリ万博、1904(明治37)年のセントルイス万博に農商務省嘱託の立場で意匠図案調査のために赴いた。
(*16)福地復一『衛生新論』島村利助刊、1888年、150―163頁
(*17)福地『衛生新論』、112頁
(*18)福地『衛生新論』、150頁
(*19)ここでは「公浴場」の定義はとくに説明されていないが、おそらく湯屋、つまり公衆浴場のことだと推測される。
(*20)福地『衛生新論』、151頁

「日本人風呂好き論」に影響を与えた“黄禍論”

だからこそ、西洋では月に一度、あるいは2カ月に一度という頻度でしか入浴していない一方で、日本には各地に「公浴場」があり、身体を清潔にしていると説明するのである。「東洋人種」は不潔だと言われた背景があったからこそ、欧米と比較して日本の入浴習慣を示し、それを「清潔」であると述べたのではないだろうか。

さらにこのことは、日清・日露戦争を契機に日本がどのように諸外国(とくに欧米列強)からみられていたのかという点にも関わってくる。

欧州では19世紀末からアジア圏(中国や日本)の人種が欧米圏の白人や国家にとって脅威になるという黄禍論こうかろんが唱えられ始めた。黄禍論が当時の日本の知識人に大きな影響を与えたことはいうまでもなく、軍医で作家の森鴎外なども批判を行っている。

先に挙げた西洋と日本の比較の議論からすると、欧米からの日本に対する偏見があり、それに対抗するからこそ、日本に古くからある入浴習慣が注目されたと考えられるかもしれない。日本人は入浴を好む清潔な国民(民族)だという言説が1900年前後に数多くみられるようになったのは、衛生領域のみではない。

川端美季『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)
川端美季『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)

たとえば、1907(明治40)年の芳賀矢一はがやいち『国民性十論』には、日本人の「美風」として「清浄潔白」が挙げられた。1911(明治44)年の福田琴月『家庭百科全書 衛生と衣食住』には、日本には古来沐浴を行う「美風」があって、どんな階級でも毎月数回は入浴するが、欧米諸国では上流階級でも日本人のように頻繁に入浴しないと述べられている(*21)

時代は少し下るが、1916(大正5)年の『大日本私立衛生会雑誌』402号にも、「世界で我国民位入浴を好むものは他にありませんでせう。入浴によつて身体の清潔を保つといふことは衛生上から見て大層良いことです」という記載がある(*22)。日本と欧米とを比較して日本人を清潔だとする認識は、大正期以降にも継続していった。

(注)
(*21)福田琴月『家庭百科全書 第31編 衛生と衣食住』博文館、1911年、234頁
(*22)無記名「余白録」『大日本私立衛生会雑誌』402号、1916年、552頁

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