日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」(TBS系)では炭鉱があった軍艦島(端島)で青春を送った若い男女の恋や友情が描かれている。経営史学者の菊地浩之さんは「ドラマで鷹羽鉱業とされている経営企業は、実際には三菱鉱業。その社員と炭鉱夫の身分格差は激しく、ドラマのようにその子女たちが対等な関係で仲良くしていたとは思えない」という――。
軍艦島の三菱鉱業事務所跡
写真=iStock.com/James Davies
軍艦島の三菱鉱業事務所跡(※写真はイメージです)

軍艦島を運営した三菱鉱業とはどんな会社だったのか

TBS日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」は、三菱(正確には三菱鉱業)が持つ端島はしま、通称・軍艦島の炭鉱を舞台にした物語である。

三菱は土佐藩営の貿易商社・開成館を母体として、明治維新後は海運業者を営んだ。苛烈なダンピング競争で競合他社に打ち勝ち、日本近海の航路を独占して莫大な利益を得た。そのダンピングを支えていたのが、鉱山経営の収益だったという。鉱山で利益が出ているから、海運で多少損しても赤字にならないということだろう。

当時最先端の船舶は、石炭を燃料とする蒸気船だったので、炭坑を購入することは理にかなっている。三菱の創業は1870年といわれているのだが、翌1871年には紀伊新宮藩(和歌山県新宮市)からの代金滞納の見返りに万歳炭坑、音河炭坑を租借し、1873年には備中高梁藩(岡山県高梁市)が競売にかけた吉岡銅山を買収している。

そして、1880年に米コロンビア大学に留学した技術者を採用して、吉岡鉱山長に着任。最新鋭の技術で採掘を行い、付近の鉱区を買収させた。1881年に土佐藩出身の後藤象二郎から高島炭坑を買収。さらに1884年に高島周辺の鉱区を買収し、1890年に端島炭坑を買収した。

1918年に三菱合資の鉱山部と炭坑部を分離して設立された

三菱は海運会社として創業したが、炭坑・鉱山の買収、造船所の払い下げ、銀行の救済などで業容を拡大していった。主力の海運では三菱の独占に対する反発が高まり、三井らが共同運輸会社を設立して対抗。熾烈な競争の中、1885年に創業者の岩崎弥太郎が胃ガンで死去すると、2代目社長・岩崎弥之助(弟)はこのままでは共倒れになると危惧。三菱の海運事業と共同運輸会社を合併させて、日本郵船会社を設立した。

弥之助は日本郵船会社の経営から一歩身を引き、海運以外の事業を集約して三菱社(1893年に三菱合資会社に改組)を設立。現在の三菱グループの母体をつくった。三菱合資は1908年に事業部制を取り入れ、部の再編を繰り返した後に、事業部を分離独立して財閥直系企業(三菱では分系会社という)を設立した。

端島を所有する三菱鉱業は、1918年に三菱合資の鉱山部と炭坑部を分離して設立された。その他は1917年に三菱造船(現・三菱重工業)、1918年に三菱商事、1919年に三菱銀行、1937年に三菱地所が設立されている。

【図表1】三菱グループ各社の成立過程(一部)
筆者作成