もしドラマの主人公が実在したら、出世はできなかった?

「海に眠るダイヤモンド」の主人公・荒木鉄平(神木隆之介)は、長崎大学を出て鷹羽鉱業(三菱鉱業がモデルと思われる)に就職している。閉山まで端島勤務だったら、その後、どうなっていただろう。

あくまで想像の域を出ないが、1955年に新卒だと仮定すれば、1933年生まれ。三菱鉱業が三菱高島炭礦を設立した時、同社に出向。閉山とともに三菱鉱業に復籍し、他部署に異動になった可能性が高い。仮に三菱高島炭礦(1990年に清算)にそのまま継続勤務していたならば、1988年に55歳で定年退職したのではないか。

ちなみに、筆者は1947~1984年の三菱グループ企業の全役員をデータベース化しているのだが、三菱鉱業に長崎大学出身の役員はいなかった。同社は圧倒的な東大閥なのである。

戦前に囚人や外国人を働かせていたという負の歴史

一方、炭坑夫の方であるが、三井財閥が買い取った官営三池鉱山では明治初年に囚人を多く使っており、三井財閥に引き渡した時の炭坑夫3113人のうち、おおよそ7割に当たる2144人が囚人だったという。そのため、三井三池鉱山の炭坑夫賃金は、囚人をベースに安く押さえられ、業界他社もそれに倣って低賃金にしていたという(織井青吾『流民の果て 三菱方城炭坑』)。

しかし、戦前の貧農にはそれでも割がいい仕事場だと思えたらしい。農地を持たない小作農は、収穫した6割を年貢として地主に持って行かれるから、炭坑夫に転身するものが少なくなかった。また、冬場の季節労働者を含む出稼ぎ労働者。それも足りなくなってくると、中国・朝鮮で募集をかけて補充した(この「募集」が強制的な徴用かどうかと問題になった)。

ある炭坑で炭坑夫は12時間労働で平均賃金は1日75銭。当時は2級酒1升が25銭だったというから、1升瓶3本分のお金である。

1930年頃の端島(軍艦島)
1930年頃の端島(軍艦島)(写真=新光社「日本地理風俗大系 第13巻」より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons