※本稿は、高橋歩唯、依田真由美『母親になって後悔してる、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち』(新潮社)の一部を再編集したものです。
「絶対に向いていなかったし、得より損ばかりしてきた」
もう母親をやめました。絶対に向いていなかったし、得より損ばかりしてきました。
母親なんてやってられない、私が20年で感じたことです。
(投稿フォームより。2022年5月)
私がまず言いたいのは、母親になるべきじゃなかったって思うことは「子どもたちが生まれてこなければよかった」ということでは決してないっていうことなんです。
子どもはもう手が離れてきていて後悔を口にしなくても済む状況になっているし、今さら言っても私自身には良いことはひとつもないと思いました。でも、「私だってできたからみんな大丈夫よ」って、なかったことにしてしまったら、結局は私の苦しかった状況を黙認することになってしまうのではないかと思いました。「後悔している母親がここにもひとりいます」と、伝えたかった。
子どものトラブル、責められるのは母親
2008年、長男が小学校に入学し、そのすぐあと、美保さんは34歳で第3子となる次男を出産した。
小学生になった長男の周囲では、相変わらずトラブルが続いた。算数の授業で、みかんとりんごがひとつずつ、合わせていくつかと聞かれたら、「みかんとりんごは違うものなのにどうやって合わせるの」と質問を投げかけ、何度も授業の流れを止めた。一度関心を持つとなかなか次のことに行動を移せず、国語の時間が始まっても、前の時間の算数に夢中で教科書を片付けることができない。先生がやめさせようとすると、自分の気持ちを表現する言葉が見つからず暴れ出した。
手を焼いた学校は、授業が妨害され、ひとりの児童のために学校生活が成り立たないと、母親に問題の解決を求めた。しかし、「ご家庭で指導してください」と言われても、どうやったら話し続ける息子を止められるのか、母親の美保さんにもわからなかった。
息子が興味を満たそうとすると、他の人に迷惑がかかってしまう。しかしその興味や行動を押さえ込んで無理やり周囲に合わせさせれば、息子は苦しみを深める。問題が起きるたび、子どもが納得するとおりにさせてあげたいという気持ちと、そう思って自分が好きにさせるから周囲に迷惑をかけているのではないかという気持ちの間で、揺れることの繰り返しだった。