「この子は私のものじゃない」
美保さんの頭に、生まれたばかりの長男を初めて抱いたときのことがよみがえった。
息子の言葉を聞いて、はっとしました。「この子は私のものじゃない、息子と私は別の人間だ」ってあのとき感じたんだったって思い出しました。もし息子から、「お母さん一緒に生きて」とか「僕のために頑張って」と励まされていたら私の耳には届かなかったかもしれません。「お母さんが死んでも自分は生きる」と言われたことで、かえって解き放たれたような気持ちになりました。
人に言われるまでもなく、トラブルばかりだった息子が大人になったときどうなるか、私自身も想像ができなかった。でもその息子はいつのまにか、人の役に立つという、私が思ってもみないことを考えるようになっていたことに驚きました。周りからは「どうにかしろ」とずっとずっと言われるけれど、やっぱりこの子はそのままでいいんじゃないかって思ったんです。子どもを変えないで、彼の思いを叶えられるようにありのまま育てようって。
母親になったばかりの頃には、子どもは別の人格を持つひとりの個人だとはっきり認識していたはずだった。それなのに、母親として子どものあらゆることに責任を問われるうちに、いつのまにか自分と子どもとの境界がなくなり、子どもの人生や生死にも責任を持たなければならないとまで捉えるようになっていた。生と死の境を渡りかけた美保さんを、ぎりぎりのところでつなぎ止めたのは、周囲の大人でも、行政でも医療でもなく、6歳の息子だった。
「女神のようでいて」「母性で考えればいい」
美保さんは、ここまで追い詰められる前に、育てにくい長男やアレルギーの長女のことを周囲に相談したこともあった。しかし、仕事が忙しく育児に関わる機会のなかった夫は、「考えすぎるのは良くない。頭で考えずに母性で考えればいい」と言って、一緒に問題の解決を目指すことはなかった。
家庭の外に助けを求めても状況は変わらなかった。育児カウンセラーに相談すると「お母さんが弱音を吐いてどうするんですか」と励まされ、地域の子育てセンターの講演会に行けば「お母さんは女神のようでいてください」と説かれた。母親は「やって当然」で、代わりに担える人は他にいないというプレッシャーにさらされ続けた。
美保さんは結局、日々直面する問題のひとつひとつを自分で解決していった。長男に食事を取らせるためにしたことは、「母性で考える」ことではなく、息子を観察することだった。