「ダンゴムシごはん」の発見
何も食べようとしなかった息子があるとき、赤飯を見て、「ダンゴムシごはんが食べたい」と言った。
赤飯に入った小豆が、大好きなダンゴムシに見えたようだった。赤飯を炊いて出すと、茶碗におかわりをしてもりもり食べた。そのとき、「この子を動かすのは興味なのか」と納得した。この発見から、食べられるものが少しずつ増えていった。興味を持たせるためにあさりが暗いところで砂出しをするのを見せてから酒蒸しを作ったら、これもまた成功した。ようやく食べるようになっても、今度はあさりの旬が過ぎて味が落ちるとまた嫌いになった。そうして一進一退を繰り返しながら、長男の特性との付き合い方を学んでいった。
息子が「将来、犯罪者になる」とまで言われたことも、思い返せば原因は自分が「母親だから」言って良いだろうと思われたのではないかと感じるようになった。「母親だから」と浴びせられた言葉の数々に向き合う度に、責任を果たさなければと思わされてきた。そのことに、苦しさの根があったのではないかと考えるようになった。
母親をやめる
そして、たどり着いたのが「母親をやめる」という答えだった。
もし私が父親だったら、この人はここまで言うんだろうか、「私だから」じゃなくて「母親だから」、こんな言葉を簡単に言うんじゃないかと思うようになりました。
どこに行っても、とにかく言われっぱなしでした。母親として適応できないのは個人の問題で、とにかく努力不足なんだ、愛情不足なんだ、もっと努力すべきなんだって。母親でいる限り、これからもそうやって傷つけられていくんだろうなと思いました。それなら、自分を守るために、生きていくために母親をやめよう。母親をやめて、「ファン」になろうと決めました。母親だからしなければと思うと、重い重い責任がのしかかるんです。母親の責任だからじゃなくて、偶然同じ時間を生きているファンだから一緒に過ごすし、育てる。そういう思いで暮らし始めたら、すごく楽になった。ファンって、その人が存在しているだけでうれしくて、力がもらえますよね。今は、一生「担降り*」しない子どもたちのファンです。
*アイドルなどの「ファンをやめる」という意味で使われる)
美保さんは、子どもを守り支える理由を、誰かから押しつけられるのではなく、自分自身で決めた。「母親」の重たいユニフォームを脱ぎ捨てると、きのうと何ら変わらないはずの自分がまったく新しい人間になったようだった。