それでもケアは続く

長男は、ノートを取ることができないという学習障害もあったが、学ぶことが大好きだった。美保さんは、学校が合わなければ別の場所を探せば良いと、定置網漁の船に乗せてもらったり、化石を掘りに行ったりと、関心のあることをとことん探求できる機会を一緒に探した。

そうして居場所を探し続けるうちに、息子は物理に関心を持ち、大学で学びたいという目標を持つようになった。書き取りではなく、パソコンやタブレットを使えば問題なく授業も試験も受けることができた。しかし日本では、受験の際に書き取りが困難な生徒への配慮を受けられる大学を見つけることは難しかった。

一方で海外には、すでに発達障害のある学生も受験ができる環境が整っている国もあることを知った。長男は外国で学ぶことを目指すようになり、努力を重ねて20歳で海外の大学の試験に合格した。現在は家族のもとを離れ、ひとり暮らしをして身の周りのことをすべて自分でこなしながら物理学を学んでいる。

周りから見ればうらやむような立派な進路を選択し、無事にひとり立ちを果たしたようにも見えるが、美保さんは息子への支援はこの先も続くと考えている。

息子は、今はひとりで生活ができていても、この先たとえば働くときには、またサポートが必要になるだろうと思っています。今も深夜に突然電話がかかってくることがありますが、母親としての責任感とかじゃなくて、困っているときに話を聞いてあげられる存在でいたいと思ってやっています。私にできないことがあれば、他の人を頼ってもらう。周りに少しずつ理解者を増やして、頼れる人を一緒に見つけていくことが、私にできることかなと思っています。

今さら励まされても取り戻せない

長男だけでなく、子どもたち3人がそれぞれ成長すると、今度は周囲から「お母さんも負けていられないね」、「自分も輝かなければいけないね」と声をかけられるようになった。

20年前、結婚したばかりの美保さんは夫婦で協力し合って働き続けるのだろうという未来を思い描いていた。第1子を妊娠して職場を辞めることになったときに夫に伝えた「必ず社会に復帰したい」という願いを実現することは、長男のケアを一手に引き受けたことで長いあいだ不可能だった。

50代にさしかかろうというとき「今から何にだってなれる」と励まされても、一度手放した仕事のやりがいや給与、待遇を考えれば損失は計り知れず、キャリアを取り戻すことはできない。養育のために独身時代の貯金は使い果たした。子どもたちを守って傷つき、睡眠も健康も引き換えにしてきた。