辻本は、金曜から日曜までグローバル本社と、メールによるやりとりを続けていた。正確な情報を共有するためだ。テレビからは新しい被災情報が次々に報じられている。日曜日の明け方近く、津波による南三陸町の不明者が1万人以上いるという深刻なニュースを聴くうち、気がつけば涙が自然と落ちていた。打ち込む英語のメールも感傷的になっていたようだ。と、そのとき、チャットで一文が入る。

「大丈夫? みんな、日本のことを思っているから。心配しないで」と。本社の女性職員だった。彼女と実際に会ったことはないが、メールでは何度かやりとりをしたことはある。我に返った辻本は、お礼を返していた。「頑張るからね」と。

地震発生から4日目の14日月曜日、午前9時ちょうど。

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震災3日後の月曜日に緊急物資を発送するまで

筒井は、神戸市役所に電話を入れる。旧知でもある災害対策室の担当者は、筒井からの電話を待ちかねていたような雰囲気だった。「緊急支援物資の配送ですね。すぐに、仙台市と調整します」。

筒井はすでに、生産・物流のBCPチームに相談して、第1陣で運ぶ物資の中身と量、トラックについての合意を得ていた。すなわち、紙おむつ28万枚、生理用品23万枚。トラックは小林の部下が取引のある物流業者に依頼し、10トン車1台と、4トン車2台を手配した。

16年前の被災経験から、被災地の行政への連絡は迷惑になるのを筒井たちは知っていた。このため、民間から直接連絡するのではなく、神戸市に協力を仰いだのだった。

このときはまだ、現地でも被害状況が把握できていない状況。何がどれだけ必要か、行政にもわからない。こちらがどれだけ物資を準備できるかを明確に示し、物資を降ろすためのスペースをどれだけ確保できるかを確認するやりとりがあった。