1時間以内に倉庫の状況を報告
山添亜希子は、千葉県柏市にある外部業者の倉庫で被災した。会議室にいたが、「倉庫内で在庫がガラガラと倒壊していく音が、はっきり聞こえました」と話す山添は、工場から各倉庫への物流を統括している。大きく言えば、小林の部下に当たる。
阪神・淡路大震災のとき、山添は学生だった。伊丹市の自宅の壁には亀裂が入り、街には火の手が上がった。その経験から山添は、その後起こっていくことを予想できた。電話がつながらなくなり、交通はストップし、やがてモノの流通も止まっていく。11日の地震発生直後、案の定、携帯も固定も電話が通じなかった。だが、ワイヤレスLANはかろうじて生きていた。
モノが崩れ落ちた倉庫内部を、携帯電話のカメラで撮影し、ノートPCで、神戸本社の物流チームに送る。最初の地震発生から1時間と経過していない段階だった。緊急時には、初動が何より大切だ。
BCPに沿って、人員の安全確保を最優先に山添は行動する。そう時間を経ず、神戸からは「商品の出荷を停止する」との連絡が届く。これにより山添は、倉庫の復旧に集中できた。荷主であるP&Gは、倉庫業者の従業員の安全を最優先したうえで、復旧に向けて協業していった。このため、帰宅させた従業員も多かった。
本社に対しては「最悪の場合を想定した報告」(山添)をする。つまり人が足りない想定での復旧の見通しについてだ。「悪い報告を、正確にすることは大切です」と山添。
首都圏の電車は、軒並み止まる。山添が神戸に帰れたのは、地震発生の2日後に当たる13日の日曜日だった。