P&Gは、16年前の1995年1月17日、阪神・淡路大震災で被災した。ポートアイランドの本社から、大阪のオフィスビルに本社機能を移したほどだった。少なくとも現在の社員の半数は、辛酸をなめている。だから、被災者の痛みがわかるうえ、救援物資に関するノウハウを経験上知っていたのだ。

エクスターナルリレーションズ コーポレートコミュニケーションズ・チーフコーディネーター 
筒井ゆう子 

神戸市や兵庫県を通して現地行政との連携を担当。

16年前、お客様相談室にいた筒井ゆう子は、手を挙げて行政との連携役に就く。神戸生まれの神戸育ちの筒井は、このとき思った。「地震で傷ついた、私の大切な神戸を、何とか救いたい」と。

阪神・淡路大震災の後、神戸市や兵庫県は激しい指弾を受ける。「金儲けはうまいのに、震災で市役所はほとんど役に立たなかった」と、言われたのである。だが、地元自治体との窓口役を務めた筒井は知っていた。寝食を忘れて頑張った市の職員が、少なからずいたことを。

それから16年。「本当は、こういう日は来てほしくはなかった」と筒井は内心思う。だが、天災は容赦なく人々から平和な日常生活を奪ってしまった。

筒井はP&Gの社会貢献活動を担当していることもあり、地元行政と交流を重ねている。今回も、行政の協力をもって、支援物資を送る考えだった。

12日午後、緊急支援物資を送付する優先順位が高くなる。小林と話し合った事業部は、通常の用途よりも支援物資を優先することに合意してくれたのだ。

16年前の被災経験から、被災地の救援物資は“まとまった量”が求められることを、会社として学習していた。受け入れ窓口の行政にとって、小口の物資は扱いに困る。どこの避難所に送るのか、判断できないなどが理由だ。

生産品目のなかでは、子供用紙オムツと生理用品が一番求められる。洗剤やシャンプーは、水道が復旧しないことにはせっかく送っても使いようがない。

「第1陣では、どれだけ出せるんだ。準備ができ次第、送り込むぞ」

小林は、指示を出す。だが、過度に現場に行かない。必要とされる最低限の報告、連絡、相談のみが行われた。「私が出すぎると、プレッシャーを与えてしまう」(小林)ためだ。

こうして地震発生の2日目までには、物資配送に関して社内的な手続きはほぼできあがった。