そもそも漢和辞典に問題がある
漢字の校正というより漢字ゆえの校正。となると校正の拠り所は漢和辞典になるのだが、そもそも漢和辞典に問題があると小駒さんは考えたらしい。
「通常の漢和辞典は漢文や漢籍を読むための漢和辞典なんです。つまりは漢語の対訳辞典。これってどう考えてもおかしいですよね」
漢和と呼ばれるくらいで、漢字の辞典は翻訳辞典。「漢語(古漢語)そのものを学習するため」と銘打つ『全訳 漢辞海 第四版』(前出 以下同)もあるくらいで、漢字を知るとは、その字源や成り立ち、四書五経などの用例を学ぶこととされている。
―─それっておかしいんですか?
思わず問い返してしまった私。慣れてしまっているので特に違和感を覚えなかったのだが、あらためて読み返してみるとヘンであることに気がついた。例えば「徳」という漢字は「社会において正しいものと評価される行動規範。道徳」と訳されている。翻訳のようだが、訳の日本語は漢文読み下しのようである。そして「徳」の語義は「恩義」「恩恵」「作用」「功能」「幸福」「行動」「信念」などと記されている。つまり漢語を漢語で言い換えており、漢和というより漢漢辞典。和語を排除するかのような印象を受けるのである。
「日本語としての漢字」を解説
「私たちは日本語として漢字を使っています。漢語ではなく日本語としての漢字。日本人の漢字の使い方を普通に理解できる辞典が必要なんです」
同じ漢字でも中国の古漢語の漢字と日本語を表記するための漢字は違う。日本語の文章を校正するには「日本語としての漢字」を解説する漢字辞典が必要だと彼は痛感し、あろうことか独自の漢字辞典の作成に着手したのである。以前取材した校正者の境田稔信さんはありとあらゆる辞書を収集していたが、小駒さんは自分で辞書をつくろうとしたのだ。
そして企画提案から約10年かけて完成したのが『新潮日本語漢字辞典』(新潮社 2007年 以下同)。まさに日本語としての漢字の「正字」。校正者の彼はそれまでの漢和辞典のあり方を校正してみせたのである。
約3000ページ近い大著。まず私が目を引かれたのは冒頭の凡例だった。
訓読みこそが「日本語としての漢字」たるゆえん。訓読みとは、漢字の「山」を漢語のように「サン(あるいはセン)」とは発音せず、日本語の「やま」を意味するので「やま」と発音する。私たちにとっては当たり前のことだが、世界的に見ると「相当奇抜な所業であり、また一大飛躍」(高島俊男著『漢字と日本人』文春新書 平成13年 以下同)らしい。英語の「mountain」を「マウンテン」ではなく、そのままダイレクトに「やま」と発音してしまうようなこと。中国人に「これは『サン』ですよ」と注意されそうだが、日本人は「いいえ、これは『やま』と読みます」と開き直るわけで、訓読みはとても「大胆な」「ずいぶん乱暴な」漢字の取り扱いなのだ。