日本語における漢字の「ひとり歩き」
「訓読みはひとり歩きするんです」
そう言って、小駒さんは『新潮日本語漢字辞典』(前出 以下同)を開き、パラパラとめくって「美」を指差した。
「『美』は『うつくしい』と訓読みします。すると『美』という漢字が『うつくしい』ものとして展開していくんです」
うつくしいものを「美」と呼ぶのではなく、「美」という字自体がうつくしいものになり、「ひとり歩き」するのだという。同書の解説は中国の四書五経ではなく、明治以降の近代文学作品をもとにしており、漢字の「ひとり歩き」の足跡を辿っている。漢字の「意味」とは、その方向性のことなのだ。「美」の場合でも「人の顔かたちや姿がすぐれている」という意味では、「美の女神・美麗・美人・美形・美女・美男・美少女・美男子・美髥・優美・脚線美・健康美・美醜」などの熟語として展開していく。「物の色や形がすぐれている」という意味では「美観・美本・美術・美学・耽美・美しい風景・美しい彫刻」。そして「言葉や音楽が人をうっとりさせる」では「美声・美音・美文・美辞麗句・美しい響き」、さらに「行動や性質が立派である」では「美風・美俗・美挙・美徳・美談・済美・美しい友情」、加えて「有終の美」や「褒美」「甘美」……。「美穀」「美作」「美袋」などの地名や、「美人局」などの熟字訓。「美事」「美味い」「美味しい」などの当て字も収録している。こうして通読すると、日本語における漢字の「ひとり歩き」を実感できる。この歩きぶりこそが日本語なのだろうか。