日本語の訓読みだけが間違いを継承
乱暴といえば、平安時代の漢和字典『類聚名義抄』(貴重図書複製会 昭和12年)などを見てみると、「乱」という漢字は「ミタル」(みだれる)以外に「ヲサム」(おさむ)、「トヽノフ」(ととのう)とも訓読みされていた。「乱」に「乱れる」と「治める」「整う」という真逆の訓読みを併存させていたのだ。現代でも『常用字解』(白川静著 平凡社 2003年 以下同)には「乱」の訓読みとして「おさめる」と記されている。実は「乱」の本字は「亂」で、もともと左側に表わされた糸のみだれを右側の「乙」(骨べら)でおさめることを意味していたのだが、誤って左側の「みだれ」を意味するようにもなり、「みだれる」「おさめる」が共存するようになったらしい。これは漢代以降に起きた混同らしいのだが、現代中国語の「乱」にはそのような混同はなく、日本語の訓読みだけが間違いを継承しているようなのである。
古典に掲載されている「姦」のすさまじい訓読み
さらに私が驚かされたのは「女」を三つ重ねた「姦」の訓読みだ。現代では「みだら」「かしましい」と訓読みされるが、『類聚名義抄』などの古典に掲載されていた訓読みはすさまじい。その一部を現代仮名遣いで列挙してみると、次の通り。
「かしがまし」(やかましい)、「よこさま」(非道)、「いつわる」(偽る)、「みだりがわし」(不謹慎)、「さま」(体裁)、「ささやく」(囁く)、「さわがし」(騒がしい)、「ぬすむ」(盗む)、「ひそかに」(密かに)……
訓読みというより罵詈雑言。漢字を使っていた男たちの女性蔑視が炸裂しているようで、漢字の読みというより、人として間違っているような気がするのである。かつて荻生徂徠が「和訓を以て字義を誤まつ者」(「文戒」/『荻生徂徠全集 第一巻』河出書房新社 1973年)と指摘していたように、訓読みこそ間違いの元。訓読みがのちの誤字誤読を招いているのではないだろうか。