誰かが「正しい」と決めている
自分は漢字を知らない。知らないからこの期に及んで誤字に気がつく、と嘆いていたのである。俳句を発表するたびに読者などから誤字を指摘されたらしいが、彼は指摘に対して感謝を述べていた。余命わずかでも「一日なりとも漢字を用ゐる上は誤なからんを期するは当然の事なり」と記したのである。
文筆家の矜持。私も学ぶべき心得なのだが、「誤なからん」とするには何を拠り所にするべきなのだろうか。「字画の正しい字」、すなわち「正字」こそが答えとなるはずなのだが、「正字」は次のことも意味していた。
官名。文字の誤りを正す。
(『全訳 漢辞海 第四版』三省堂 2018年)
実は「正字」とは役職の名前。北斉から明の時代に図書の管理を行なう役所(秘書省)におかれた役職で、要するに校正者のことだった。中国には異体字を含めて8万を超える漢字があるそうだが、当時は「科挙」という人材登用の試験制度があり、文字の正誤を定める必要があったのだ。文字自体が正しいわけではなく、誰かが正しいと決めている。誤字の対義語は「正字」という名の校正者だったのである。
「正書法」のない、極めて珍しい言葉
「そもそも日本語には標準表記がありませんし」
小駒勝美さんが続けた。日本語には漢字があるから校正がある。標準表記がないから校正が必要になるという。
―─標準表記、ですか?
「いわゆる正書法がないんです。英語やフランス語、中国語にはディクテーションがあるでしょ。読みあげた文章を書き取るテスト。正確に文字に起こせるかというテストですが、日本語ではこれをやりません。受けたことあります?」
―─確かに、ない、ですね。
例えば「とりかえる」という言葉を聞いても、「とりかえる」と書けるし、「取り替える」とも書ける。他にも「取り換える」「取りかえる」「とり替える」……。書き方は人それぞれで、正解はひとつではないのだ。そもそも「日本」という国号も「にほん」なのか「にっぽん」なのかいまだに不明。日本語の正しい文法を学ぼうとしても、品詞の分類からして「現状では品詞の立て方は学者によってかなりまちまちである。大筋では同じような所に落ち着くと見ることもできようが、それは妥協の産物であり筋が通らない点が多い」(『岩波 国語辞典 第7版 新版』岩波書店 2011年)といきなり水を差されてしまうありさまなのである。
「日本語は正書法のない、極めて珍しい言葉なんです」
世にも珍しい正体不明の言葉。漢字仮名交じり文という形態は、漢字や漢字から派生した仮名の交じらせ方に公式な正解がなく、だからこそ校正者が必要になってくるのだ。