校正は「消される仕事」

「先輩から教えられたことですが、校正は一字ずつ、自分の名前のハンコを押していく作業なんです。OKのハンコ。全部の字にハンコを押すつもりで確認する。そこで『あれ?』『おかしいぞ?』という字があったら、調べて修正を提案するんです」

実際にハンコを押すわけではないので、校正済みのゲラに印はない。「ない」ということがOKの印なのだ。

――しかし一字だけ見ていると、全体が見えなくなりませんか?
「字には物体としての魅力があるんです」
――物体?
「字の並べ方、字詰めなど、物体としての姿があるんです」

言葉として意味を読み取るのではなく、物体として容姿を確認するのだろうか。

――おかしい、と思った部分を直したつもりなんですけど……。

髙橋秀実『ことばの番人』(集英社インターナショナル)

私の校正は文章の見た目がおかしいという指摘でもある。

「それを赤字で入れてはいけません」
――そうなんですか?
「必ず鉛筆で書いてください。そして直すというより、『このようにされたら、いかがでしょうか』と提案するんです」
――なぜ鉛筆なんでしょうか?
「消せるからです。編集者が不要と判断したら消せますから」

校正の仕事は消される。たとえ直しても校正の痕跡は消されるし、OKのハンコも見えないわけで、消されることが校正の宿命なのだ。私のような「俺が直した」「直した俺」という自意識こそ真っ先に消すべきなのだろう。

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