記憶したければ、スマホで撮ってはいけない
「おもしろい」以外にも記憶につながる引っ掛かりを作る方法はさまざまにある。
ある冬の日、高層ビルのガラス張りの一室で仕事の打ち合わせをしたときのこと。その日は朝からみぞれ混じりの雨が降っていて、部屋に入ったときには、ほぼ雪に変わっていた。東京・神谷町のあたりのビルだったから、窓からは都心の高層ビル群、さらには東京タワーが見える。なかなかに印象的な景色だった。
もしこれを「記憶の沈澱物」として自分の中にしまいこみたいとしたら……僕は、スマホで写真を撮らないことをおすすめする。
では、どう記憶するのか? こんな具合でやってみるのだ。
対立・矛盾など違和感を作り出す
まず、ただじっとこの景色を見つめて、もうとにかく、ここはニューヨークだと思おうとする。もちろん、ここは東京だし、「マンハッタンの雪模様を、摩天楼のトップから見ている。ペントハウスから眺めているニューヨークなんだ」とどんなに言い聞かせたって、おかしいのだ。目の前の東京タワーだって、あの先の尖ったクライスラービルに見立てようとするのは、とうてい無理がある。
それでも「ニューヨークだ」と思い込もうとしてみる。そうすればするほど、明らかに脳がガチャガチャしてくる。その違和感に、真っ当な脳が葛藤して怒り出すわけだ。その軋轢の摩擦熱で、目の前の映像を脳に焼き付ける。
「何を言っているのか」と思われるかもしれないが、もし単純に「神谷町で東京タワーが目の当たりにできて、高層ビルがいっぱいある」と捉えたとしたら、どこにも引っ掛かりがなくて忘れる対象になってしまう。だから、忘れないために、あえて「普通はこんなものに入れないよね」というところへタバスコをドバッと入れるようなことをする。対立するもの、矛盾する変なものをぶち込んで違和感を作ることで、とりあえず思い出せるようになるのだ。
正常な脳を怒らせる
この映像記憶にアウトプット先は用意されていない。誰からも「この景色を覚えておいてほしい」なんて言われていない。
だけど、ひょっとしたら、いつか「高層ビルの一室から眺める、雪の都心」を描写することがあるかもしれない。
そうなったらきっと、あの雪の日、正常な脳を怒らせながら「ニューヨークだ」と思い込もうとした都心の景色が、記憶の奥底からフワッと浮かび上がる。その景色が今まさに目の前に広がっているかのように喋ることができるだろう。
日常的なスナップ写真や記念写真を撮るときは、僕だってスマホのカメラを使う。カメラを持ち歩く必要がないのは、やっぱり便利だなと感心する。
でも、目の前の景色を映像記憶しておきたいとき。「準備」として記憶の沈澱物に加えていきたいときは、スマホでは撮らない。
その代わり、「脳を怒らせる」という方法を取るのだ。