※本稿は、古舘伊知郎『伝えるための準備学』(ひろのぶと)の一部を再編集したものです。
大事なことを忘れるのは、それが面白くないから
人間は不思議なもので「これは忘れちゃいけない」「これは大事だ!」と思うことほど、覚えなければと考えたことは記憶しているのに、その中身は忘れてしまうものだ。みなさんも、そんな経験があるのではないだろうか。
大事なことを忘れてしまう理由。それは、「大事なこと」はおもしろくないからだ。「これは大事だ、覚えなくては!」と考えた時点で、脳は強迫的なストレスを感じ、拒否反応を起こす。「つまらない」と感じる。
でも僕たちは、大事だから覚えようとがんばる。特にもう70歳で短期記憶の力が薄れているのも自覚している僕は、何かを新たに覚えるには反復あるのみ。「大事だ、大事だ」と2回唱えてもダメ。「大事だ、大事だ、大事だ」と3回唱えても、5回唱えても、忘れる。7回くらい「大事だ」と言い聞かせて、ようやく短期記憶にねじ込む。
はたして3週間ほど後――きれいさっぱり忘れているのだ。
「大事だ!」と言い聞かせた、「大事だから覚えるんだ」と唱えていたときの情景は全部インプットされている。なのに、一所懸命に覚えようとしたその中身、「何を大事だと思ったのか」がわからない。油絵を入れている金色でクラシカルな額縁は明確鮮明に覚えているが、肝心の絵を忘れてしまうのだ。
何事もおもしろがってみることで、「記憶の沈澱物」になる
だけど、「これはおもしろい! 覚えておこう」と思ったことは、ほぼ忘れない。
脳はおもしろいことが大好きなのだ。
最強の記憶術とは「おもしろがる」こと。
そうしてふとしたときに触れた知識・情報が記憶の奥底に沈澱し、ある絶妙なタイミングに、意図せずフワッと浮き上がってきて役立つこともある。
何事もおもしろがってみることで、よくわからないガラクタみたいなことも含めて、「記憶の沈澱物」が折り重なる。それはいつか役立つかもしれないし、役立たないかもしれない。ぜんぶ含めて自分という人間の幅、あるいは厚みを増す準備なのだ。