「アナログな作業」の功罪

違和感によって記憶が沈澱しやすくなるのは、映像記憶に限った話ではない。たとえば、僕は新聞のスクラップにも活用している。

テーブルの上の朝刊
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僕は朝日新聞の朝刊に載っている「折々のことば」というショートコラムが好きで、ほとんどチェックしている。哲学者の鷲田清一さんが最近読んだ書籍などの一節を引き、ひと言、感想や考察を寄せるというものなのだが、実に味わい深い。「この言葉、ぜひ覚えておきたい」と思う回も多い。どうしても我慢がならず、切り抜いてスクラップしたくなることもある。

ところがこのデジタル時代、切り抜いてスクラップするというアナログな作業をすると、それだけで安心して終わってしまう。結果、満足して記憶に残らない……ということを、経験上でわかってはいるのだ。

記事を手でビリビリに引きちぎり、部屋の一角に置いておく

そこでスクラップをするときは、わざとギザギザに引きちぎる。

手でビリビリと引きちぎるのだ。別の記事が入り込んでもお構いなし、わざと汚くする。

そして、それをサイドテーブルに、わざとグチャッと置いておく。「これが拡大していくと、ゴミ屋敷になるだろうな」というような「ゴミ屋敷コーナー」を部屋の一角に作るわけだ。そうすると、いやでもふとした時に目に入る。ギザギザのヤな感じが。

僕は根っからのズボラ人間だ。だが、ここでハサミやカッターを使ってきれいにスクラップしないのは面倒だからではない(それも少しはあるが)。

ズボラだが、僕は神経質でもある。ペンが斜めに置かれていたら、ついまっすぐに直してしまうくらい。そんな僕にとって、四辺がギザギザでグチャッと置かれた新聞記事の切り抜きなんて、この上なく気持ち悪い光景なのだ。目に入るたび神経に触る。

だからこそ、あえてギザギザに引きちぎり、グチャッと置いている。

そうして、ふと思い出したくなったときには「ゴミ屋敷コーナー」を漁って、そのスクラップを探し出す。「いつだっけなぁ。効率悪いなぁ、このコスパ・タイパ時代に……」とイライラしながら。すると、そのストレスを経ているから、目的のものが見つかったときに、「そこにある言葉を丸ごと飲み込もう」というモチベーションが生まれる。

つまり、僕は覚えておくために、あえて違和を作っているのだ。