インターネットは判断力と思考力を削いでいく

インターネットで発言している人たちに対して、パワーエリートたちは「カエルには、田んぼの中で好きなだけ歌わせとけ」と思っています。たとえは悪いかもしれませんが、「お前は魔法をかけられた王子さまじゃなく、ただのカエルなのだからお城には一生行けないだろう。だから、いつまでも田んぼの中でゲコゲコ歌っていろ」ということです。

政局や重要な政治、経済、社会問題とは関係のない田んぼのような場所で、カエルのような小さな存在がいくら騒いでいても体制には影響がないので、好きにしていればいいといことなのです。

為政者からすると、国民が愚民であればあるほど扇動しやすくなります。インターネットは愚民化を促すツールになり得る要素を設計思想の中に持っているので、エリート層の人間はそれをうまく活用すればよいとすら思っています。

この点について、現代思想評論家の高田明典は『情報汚染の時代』において、「過剰による情報汚染は、特に近年指摘されるようになったものであり、あまりにも多くの情報が私たち個人個人に降り注ぎ、処理の効率が落ちて、意思決定できなくなることをいう」という指摘を行っています。

インターネットによる情報過多には、ユーザー一人ひとりの判断力を鈍らせ、思考力をどんどん削いでいく危険性があるのです。

写真=iStock.com/Tero Vesalainen
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利用する側ではなく、搾取される側に

そもそも、インターネットには、不平や不満を書き散らかしてフラストレーションを発散するためのツールという側面があるため、まさに愚民化を促すにはうってつけの道具になり得るともいえるのです。

インターネットへのアクセスを利用して、企業がマーケティングやビジネスを行い、収益を上げているという現状も問題といえるでしょう。

社会学者の鈴木謙介は、『ウェブ社会のゆくえ』で、「私たちは、空間も、時間も、そして人間関係も、私たちを取り巻くあらゆる現実の要素がウェブの情報として取り込まれ、それこそが現実であるかのごとく感じさせられるようになるという変化に直面している。

見方を変えれば、いまウェブは現実のあらゆる要素を取り込んで、もうひとつの現実を作り出し、それをビジネスの要素にしようとしている。つまり『ウェブが現実を資源化している』のである」と述べています。

一般国民が日常的にインターネットを使用すればするほど儲かる企業があります。インターネットを利用して便利だと思っていたつもりが、知らない間に独占資本の利益を生み出すシステムに利用されていることもある。いわば、ネット上の搾取の構造です。