プロ選手で差が出るのは「誰とどこで出会うか」

【武中】そんな生活をしながら良くモチベーションが保てましたね。

【川口】いや、保てなかった(苦笑い)。あの当時、高卒でドラフトを拒否すると3年間はプロ入りできなかった。デュプロの2年目、仕事ばっかりで練習できない。旅館を手伝いながらアマチュアで野球を続けようかと一度、鳥取に戻っているんです。

そうしたら知り合いが、広島(カープ)に先輩がいるからって電話してくれた。次の日、(監督の)古葉(竹識)さんから電話があって、左ピッチャーが欲しいから獲るっていうんです。

撮影=中村 治
鳥取大学医学部附属病院の武中篤病院長

【武中】その方がいなければプロは諦めていたかもしれない。そして、ドラフト1位で広島から指名。広島は練習が厳しいというのは本当ですか?

【川口】その通りです。走るのが嫌でロッテを断ったのに、広島ではその数倍走らされました(苦笑い)。

【武中】そこで鍛えられたことでプロでやっていく素地ができた。医師でも同じですが、若いときに誰とどこで出会うかで人生が変わるとぼくは考えています。

【川口】同感です。プロに入ってくる選手はみんなそれなりに才能があるんです。差が出るのは人との出会いかもしれません。その意味でぼくは恵まれていたと思いますね。

プロの先発投手とセールスマンの意外な共通点

【武中】広島では先輩に同じ山陰出身の左腕、大野 豊さんがいました。

【川口】ええ。大野さんには本当にお世話になりました。師匠みたいな方です。当時、大野さんは先発からリリーフに回っていたんです。プロ入り2年目の7月15日の(対大洋ホエールズ戦)で初勝利を挙げたとき、ぼくが6回まで投げて大野さんが3回を抑えてくださった。

【武中】クローザーは1イニング限定という意識がなかった時代ですね。あの当時の広島には、大野さんの他、北別府(学)さんという大エースもいましたね。

【川口】北別府さんは針の穴を通すコントロール、大野さんは七色の変化球。そこでぼくは“ノーコンの川口”で通したんです(笑い)。

【武中】確かに川口さんはコントロールよりも球の切れで勝負という印象がありました(笑い)。でも、ノーコンってプロの投手としてあまり嬉しくないですよね。

【川口】いいんです。人間って生き方だと思うんです。北別府さん、大野さんと違う自分の特色を出せばいい。

【武中】当時、川口さんはまだ20代、大人びていましたね。

【川口】会社員生活を経験したことがぼくの強みになったのかもしれませんね。プロの先発投手は月に5試合程度、登板。5試合のうち2勝すれば、6カ月で12勝。先発投手としてのノルマは達成。月の初めにポンポンと2勝すれば、3試合目は勝てば儲けもの、来月の貯金のつもりで投げられる。

【武中】そのときにこそ、いい投球ができたりしますよね(笑い)。

【川口】これってセールスマンと同じなんです。ノルマ達成して、肩の力が抜けると余計売れる(笑い)。