鳥取と東京の理想的な二拠点生活

【武中】社会人生活という当時は、無駄だと思っていた時間が実はそうではなかった(笑い)。ところで、川口さんは2021年の年末から故郷の鳥取市に戻られましたね。

【川口】コロナ禍で野球教室などの仕事がすべてなくなってしまった。そこで女房と2人で鳥取に戻ってみたら、この地の良さに気がついた。水は美味しいし、空気は綺麗。海も山もあって、食材に恵まれている。ぼくは18歳までしか鳥取にいなかったので、本当の良さを知らなかったんです。

【武中】高校までは野球漬けでしたものね(笑い)。

【川口】そんな余裕ないです。たまに家にあるカニを食ったりするぐらい。そのときは身近にあるものだから、ありがたみはなかった。改めて食べてみると、これが旨い(笑い)。鳥取を気に入ったのはぼくよりも女房だったんです。

東京出身の彼女が鳥取はすごくいい、ここに住もうと言い出した。今は、鳥取(コナン)空港の近くに住んでいて、(野球)解説の仕事があるときだけ東京に行っています。

【武中】理想的な二拠点生活ですね。今は米作りもやられている。

移住検討で考慮したのは信頼できる病院があるかどうか

【川口】コロナ禍の最中にお袋が亡くなったんです。納骨のときにたまたま空いている田んぼがあるという話になりました。女房がそこで米を作ろうと言い出した。

鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 17杯目』
鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 17杯目』

【武中】やはりきっかけは奥様だったんですね(笑い)。米を作るって大変じゃないですか?

【川口】いや、葉っぱ植えるだけだから(笑い)。もちろん草取りとかもありますが、それは大変だと思わない。今年で2年目なんですが、最初に収穫できたときは本当に嬉しかった。コーチのとき一生懸命教えても伸びない選手もいる。

でも、米は嘘をつかない。手を掛ければ結果が出る(笑い)。ここには山から来る美味しい水がある。それを使えば美味しい米ができることは分かっていました。刈り取った米を天日干しにしたら、甘みが凝縮して、それをつまみにお酒が飲めるぐらいなんですよ。

【武中】そのお米、とりだい病院に持って来てもらえませんか? 地元の人たちに食べてもらいたい。

【川口】ぜひぜひ! 移住を検討したときに、まず考慮したのが信頼できる病院があるかどうか、でした。この地域で高度医療を実践している、とりだい病院は最後の砦。頼りにしています!

川口 和久(かわぐち・かずひさ)
元プロ野球選手(投手)・コーチ、野球解説者・タレント・農家
1959年鳥取県鳥取市出身。鳥取湖南小学校で野球を始め、鳥取城北高校に進学後、県大会決勝にチームを導く。ロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテ・マリーンズ)にドラフト6位で指名されるが拒否。社会人野球チーム、デュプロに入団。1980年ドラフト1位で広島カープに指名され入団。87年、89年、91年には奪三振王に輝く。1994年FAを宣言し、巨人に入団。1998年に現役を引退。
引退後は野球解説者の傍ら映画やテレビドラマに出演するなど、野球以外の分野でも活躍。コロナ禍における母の死をきっかけに、神奈川県から鳥取にUターンを決意。農業に従事する傍ら鳥取の野球振興に力を注いでいる。
武中 篤(たけなか・あつし)
鳥取大学医学部附属病院長
1961年兵庫県出身。山口大学医学部卒業。神戸大学院研究科(外科系、泌尿器科学専攻)修了。医学博士。神戸大学医学部附属病院。川崎医科大学医学部、米国コーネル大学医学部客員教授などを経て、2010年鳥取大学医学部腎泌尿器科学分野教授。2017年副病院長。低侵襲外科センター長、新規医療研究推進センター長、広報・企画戦略センター長、がんセンター長などを歴任し、2023年から病院長に就任。とりだい病院が住民や職員にとって積極的に誰かに自慢したくなる病院「Our hospital~私たちの病院」の実現に向けて取り組んでいる。
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