進次郎氏の絶妙な「キャラ」
ひとつは、彼のキャラが立っているからである。
まずは、あの父・純一郎氏を後ろ盾にしている、というのは、とてつもなく大きい。2008年9月27日に神奈川県横須賀市で行われた後援会で「後継には、進次郎を認めてもらいたい」と純一郎氏から指名された(※1)、そのアドバンテージは、他の人には真似できない。さらに、その父との関係へのスタンスも絶妙と言えよう。
「50歳までは総裁選に出るな」と純一郎氏が周囲に語ったとする報道について、8月10日のラジオNIKKEIのポッドキャスト番組で否定した上で、「歩みを進めるも引くも、自分で決めるのは当たり前のことだ」と語っている。父から地盤を受け継ぎながらも、決して従順な息子ではない。そんなイメージ戦略を、総裁選直前の勝負どころで見せる。その勘、嗅覚こそ、父親譲りにほかならない。
「世襲」に対する立場もまた、絶妙である。2009年の初当選時に進次郎氏は、「皆さんが当選させて初めて世襲は成立するんです。有権者の皆さんの判断だと思うんです」と語っている。選挙という民主主義の根本をなす仕組みによって審判を受けている以上、いくら有利だからといっても、最後には有権者が決めている。この原理を臆面もなく言える。ここに、彼のキャラが象徴されている。
岸田翔太郎氏との決定的な違い
岸田翔太郎氏は、その辞任のきっかけとなった「忘年会」の際、首相公邸の階段で写真を撮っていた。閣僚たちが組閣にあたって記念撮影する、いわゆる「ひな壇」に親戚一同で並び、その中心、つまり、総理のポジションに翔太郎氏が立っていた。単なる座興というか、度が過ぎたとも言えるが、進次郎氏なら「忘年会」はおろか、こうした写真を撮影しようとの発想すら抱かなかったのではないか。
進次郎氏は「世襲」を所与の、すなわち、良くも悪くも、すでにあるものとして、冷静に受け止めている。対して翔太郎氏は、「世襲」を「忘年会」のネタにする程度に意識していたのではないか。「世襲」を意識しすぎているからこそ、その肩へのチカラの入りようが、火に油を注ぐ結果となったように思われる。
「世襲」と言われるのは仕方ない、と諦めている進次郎氏に比べて、翔太郎氏は、距離感を測りかねていたのではないか。
この対比は、進次郎氏が人気を博している2つめの理由にもつながる。
それは「育ちの良さ」である。
参考文献
※1:大下英治『小泉純一郎・進次郎秘録』(イースト・プレス)