※本稿は、野口悠紀雄『アメリカはなぜ日本より豊かなのか?』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
誰が日本の半導体産業を衰退させたのか
「日本の半導体産業は、1980年代には世界を制したが、その後衰退した」と、よく言われる。しかし、この見方は不正確だ。
1980年代においても、日本が強かったのは、DRAMというメモリ半導体だけだった。CPUと呼ばれる演算用の半導体は、アメリカのインテルが支配していた。日本の技術では、歯が立たなかったのである(そのインテルを、いまエヌビディアが追い抜いたのだ)。
現在のロジック半導体は、CPUが進歩したものだ。この分野で日本が弱いという基本構造は、そのときと変わらない。その後、日本の半導体産業は、メモリの分野においても衰退した。それは、サムスン電子などの韓国企業の追い上げに負けたからだ。
半導体の製造装置や原材料で日本のシェアが高いことは、これまでも言われてきた。そうなった原因は、製造装置や原材料のメーカーは、従来の日本の製造業大企業とは異質のものだったことにあると考えられる。
これについて、東京工業大学学長の益一哉氏と、長瀬産業執行役員の折井靖光氏(当時)の対談が、大変興味深い論点を提示している(NewsPicks「日本の半導体産業に、希望はある」2022年1月31日)。
垂直統合で自社に半導体部門を持っていた電機メーカーは、マーケットの変化を読めなかった。そして、世界の市場を見ず、自社製品のために半導体を作るという視座にとどまってしまった。
しかし、材料メーカーは、材料を他社に使ってもらわなければ生きていけないので、デバイスメーカーがこれから何を作ろうとし、どんな半導体を望んでいるのかについて、必死になってヒアリングをし、材料開発をしてきた。こうした地道な努力によって、日本の材料メーカーは存在感を維持し続けてこられたというのだ。まさにそのとおりだと思う。
日本の半導体産業を衰退させたのは、材料メーカーと異なり、自社製品のことしか考えない大企業体質なのである。