別学出身だと多様性に欠けるのか

また、埼玉県のケースに限らず、別学の賛否においては、別学出身者の社会適応について議論されることも少なくありません。

具体的には、「異性への理解が乏しく、協力して働くことが難しいのではないか」というものや、「ダイバーシティインクルージョンの時代に男子だけ(女子だけ)という環境で過ごすことで社会適応に支障がでるのではないか」、また、女子校のキャリア教育やリーダーシップ教育に対し、「実社会の中で活躍するには女子だけの環境の中でリーダーシップを養っても意味がないのではないか」などの意見があります。

たしかに男女が共に生活をする共学と比べ、異性がいないという点では多様性に欠けているのかもしれません。

共学高校も同質的なことに変わりない

しかし、共学高校とて、同じような地域から、同じような偏差値の同じような年代の生徒が集まっています。異性はいるものの、同質的な集団で、実社会の多様性には遠く及びません。

社会に出れば、さまざまな人と共存していくことが求められます。育った環境も経済力も学歴も価値観も全く違う人たちと一緒に仕事をしたり、子育てをしたり、関わり合っていきます。

もし、県立高校に社会とのギャップを無くす機能を求めるのなら、共学化にするだけでなく、偏差値や学費のボーダーも取っ払って、誰でも平等に自由に入学できるようにする必要があるはずです。

けれども、高校とは会社でなく学校であり、生徒は社会人の大人でなく、まだ成長過程の子供です。同質な集団で学ぶことの意義や意味が認められているからこそ、今の高校システムがあるのでしょう。であるのなら、別学高校を多様性に欠けるから、実社会とかけ離れているからという理論で淘汰するのは少々乱暴と言わざるを得ません。