パレスチナへの攻撃をやめないワケ

――仮に日本国内で、同盟国・アメリカの軍の幹部が敵対国に殺害されたら大変な騒ぎになりそうです。

日本ではセンチメンタルな感情に引っ張られ、「我が国の国内で、盟友の幹部を殺害するなんて許せない」「弔い合戦は避けられない」という浪花節の話になりかねないのですが、中東にはそうしたウェットな感覚は全くありません。

そもそもハマスとイランの関係は、言ってしまえば同じイスラエルを敵とする「反イスラエル同盟」であり、同盟と言っても敵の敵は味方という関係にすぎないものです。

一方、イスラエルによるガザの攻撃が続いているのは、イスラエルが「血でつながった国家」だからで、この点が他の中東の国とは違うところです。

ハマスは人の命が100倍重い国であるイスラエルに対して、引き金を引いてしまった。ハマスが1200人を殺害し、現在も100人近くを人質にしていることが、「血」を重んじるイスラエルにあれだけの苛烈な復讐をさせる動機になっています。

我々からすると「いやいや、戦闘員のハマスと、民間人であるガザの住人は別でしょう」となるのですが、イスラエルにとっては区別がありません。誰でもハマスになりえる以上、そこにパレスチナ人がいることは、ハマスがいることとほとんど同義になってしまっています。

パレスチナ問題が終わることはない

イスラエルはテヘランの、どのホテルの、どの部屋にハマス幹部が宿泊するかを把握して、ピンポイントで殺害することができる。これはモサドというスパイ組織がイラン国内に情報網を張り巡らせているからですが、ガザにいるハマスに対してはインテリジェンスを持っていないと思われるので、町ごと破壊して民間人を巻き込んでいます。

イスラエルは、口では民間人の犠牲について配慮しているようなことを言っていますが、実際には良心の呵責(remorse)など感じていないでしょう。「自分たちにとって血の結束が大事であることがわかっていてハマスは手を出したのだから、相応の報復を受けて当然だ」というのがイスラエルの考えで、「非人道的だ」と非難されても、ピンと来ていないと思います。

写真提供=Xinhua/ABACA/共同通信イメージズ
2024年8月26日、ガザ地区北部のジャバリア難民キャンプで、食糧支援を受けようと集まる人々

――鈴木先生は新聞の取材や新刊『資源と経済の世界地図』(PHP研究所)では、中東情勢について「イスラエルとハマス(ガザ)、イラン、ヒズボラ(レバノン)の間の応酬という『点』の争いが、『面』に発展してくると紛争が大規模化するが、今はそうなっていない」という説明をされています。

「点と面」の説明は、今お話しした中東の人たちの感覚を限られたスペースで説明するのが難しいので、分かりやすくするために使っている表現です。

このイスラエルとパレスチナの「点」の対立自体は終わることはありません。たとえるならば火山のようなもので、静かな時期もあれば、噴火する時期もある。活火山が休火山になるかどうかというのは、誰にもわかりません。ただ、現在の噴火については、どこかでイスラエルとハマスがお互いに「もう疲れた、いったんやめよう」となるまでは続くでしょう。