八方ふさがりだったアメリカ留学

アメリカでの生活は、自分なりに波乱万丈だった。昼間に通っていた語学学校では僕だけが視覚障がい者だった。寮生活では食事が出ていたけれど、聞いたことのないメニューばかりで、口にするまでなにかわからない得体の知れないものを食べることも多かった。

最初のトレーナーである愛すべきトニーが突然、辞めてしまったり、クラスメイトが急死したり、大学時代の恩師の突然の訃報で猛烈なホームシックになったりしたこともあった。

そして、2020年には世界中が新型コロナウイルス禍に揺れた。その結果、久々に日本で行われる大会も中止になり、ホームシックはますます強くなった。語学学校も休校となり、いつものプールも使えなくなり、街のレストランもジムも閉鎖された。

まさに、八方ふさがりだったけど、僕には「逃げることは恥ずかしいことじゃない」という思いがある。だから、すぐに帰国を決めた。逃げるようにアメリカに行き、逃げるように日本に帰ってきたのだ。

東京パラリンピックの1年延期が決まった後、「せっかく1年という猶予をもらえたのだから、多少無理やりでもいいから、それを前向きにとらえて有意義に過ごそう」と決めた。いろいろありながら、結局は日本に帰国することが決まったのだから、「アメリカではできないトレーニングをしよう」と決意したのだ。

そのひとつが高地トレーニングだ。マラソン選手がしばしば採り入れているトレーニング方法なので、ご存知の方も多いと思うけれど、わざわざ酸素の薄い山の上に行って、苦しい思いをしながらひたすら泳ぐ。そうすることで心肺機能を強化するのだ。

こうしたことなどが功を奏して、僕は東京大会で金メダルを獲得したのだ。

パリパラリンピックは「正直、怖い」

東京大会後、しばらくは目標が定まらなかったが、しばらくすると「もう一度、パラリンピックに出場しよう」という気持ちが芽生えてきた。そして2024年のパリパラリンピックを見据えて、僕ははじめて「フォーム改造」に取り組むことを決めた。

水泳人生ではじめての挑戦だったが、女子200メートルバタフライでオリンピック2大会連続銅メダルを獲得している星奈津美さんから技術指導を受けることにしたのだ。

指導を受けてみると、いままで気づかなかったことがたくさん学べるし、「オレにもまだ伸びしろがたくさんあるな」と感じることができた。フォームを崩す怖さより、どこまでいけるかという楽しみのほうが断然勝っていた。

2024年のパリパラリンピックが目前に迫ってきた。

もちろん、2大会連続金メダルを目指して日々の練習に取り組んでいるけれど、正直なところ、内心では「パリ大会で金メダルを獲ることは難しいかもしれないな……」という思いも抱いている。

写真=iStock.com/HJBC
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別に謙遜しているわけでも、弱気になっているわけでもない。現在の自分のコンディションや、他国の有力選手の現状を冷静に考えると、今回はかなり厳しい戦いが予想されるからだ。

木村敬一『壁を超えるマインドセット』(プレジデント社)

パラリンピックの視覚障がい者による世界では、僕のように先天的な疾患による者と、事故や病気によって後天的な理由で障がいを負ってしまう者がいる。そして、両者のあいだには越えられない大きな壁があるのもまた事実なのである。

正直、怖い。うまくいくかどうかはわからない。けれども、彼らが身を以て証明しているではないか。「怖さ」は慣れで簡単に克服できると。そう、慣れていくしかないのだ。

彼らが次第に慣れていくように、僕もまた少しずつ慣れていくしかないのだ。はたして、どんな結果となるのか? ぜひ期待して注目してほしい。

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