“目の見えない人”に出会ったらどう声をかけるか

突然だが、みなさんは街を歩いていて、向こうから点字ブロックの上を進みながら白杖を持って歩いていく人を見かけたらどんな心情になるだろう?

おそらく、多くの人が若干の緊張感を覚えつつ、「邪魔にならないようによけようか」と、静かに道を空けてくれるのではないだろうか。

もちろん、その光景は僕には見えないけれど、その人が緊張している雰囲気はビンビン伝わってきている。それは「なにか手を差し伸べてあげたいのだけれど、なにをしていいのかわからない」という思いがあるからではないだろうか。

実に多くの人から「なにをすればいい?」と聞かれてきたが、その答えとしては「状況による」としかいえないのが本当のところなのだ。

例えば、駅のホームにいたとしても、「乗るべき電車がわからない」というケースだけではなく、単に「トイレに行きたい」というケースもあるし、「目的の出口を探している」場合もあれば、「待ち合わせしている人を探している」こともある。

だから、単にひとこと「なにかお困りですか?」とか、「なにかお手伝いできることはありますか?」といってもらえると、本当に助かる。

杖を使って歩く視覚障害者
写真=iStock.com/FG Trade
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日米で違った“目の見えない人”に出会ったときの対応

ただ、ややこしい表現になるけれど、困るのは「なにも困っていないとき」だ。

なんのトラブルもなく順調にことが進んでいるときに、「なにかお困りですか?」といわれると、どんなリアクションを取っていいのか悩んでしまう。声をかけてくれた人は、きっと勇気を出して「なにかお困りですか?」と気遣ってくれているのは痛いほど理解している。

それなのに、「別になにも困っていません」というのも悪い気がするし、そうかといって、自分ひとりで目的地に行けるのに「出口はどこですか?」と、知らないフリをするのも気が引ける。

だから、その点はぜひご理解いただきたい。もしも仮に「困っていません」といわれても、決して気を落とさずに、また次の機会に別の方に救いの手を差し伸べてもらえると、すごく嬉しい。

その点、アメリカの人々はまったく異なっていた。アメリカ留学中に驚いたのは、こちらが何度も「困っていないです」といっているのに、次に会うときにはまた「なにか困っていない?」と聞いてくれるのだ。

そこには、まったくためらいがない。たぶん、いちいち勇気を振り絞ったり、緊張したりすることなく、普段のあいさつのような感覚で声をかけるのだろう。あれは自然体で、本当によかった。硬くならず、ゆるく生きていこう。人生もまさに、かくありたい。